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ぬるい懐古オタクがだらだらと語るだけ。クシャナ殿下と南雲隊長とハマーン様に愛が偏っています。

兵庫県立美術館「富野由悠季の世界展」

今週はすごく濃い週を過ごしています。新作歌舞伎のナウシカは、結局もう一度見に行きました。昼の部、夜の部と計4回、凛々しくお美しいクシャナ殿下を拝見できて、もう感無量です。とにかくあの美しい殿下のお姿に完全にノックアウトされています。色々スケジュールをぶっ飛ばしてしまいましたが、後悔はありません。(感想はなんとかまとめて、近くアップしたいとは思っていますが、動揺がおさまらない…)

 

で、クシャナ殿下ショックが収まらない中、兵庫県立美術館の「富野由悠季の世界展」に行ってきて、またまた精神的に動揺しております。

これ、12月22日までなので、スケジュール的にギリギリでした。

www.mbs.jp

関西圏の方は明日までですが、ぜひ! 

来年も全国の美術館を巡るそうなので、ガノタの皆様は行かれることをお勧めします。色々懐かしいものがたくさん見られて、すごく楽しかったです。

 

以下、簡単な感想ですが、ネタばれです。ご注意くださいませ。(あと、感想は思いっきり偏っています。まあ、ハマーン様ラブな私が書く感想なんでお察しです)

 

 

 

展示会は時系列的に富野監督の作品を紹介。

駆け出しのころの展示物で、一番印象に残っているのが、「赤毛のアン」の絵コンテ。

以前、エントリーで書いた覚えがあるので、かなり興味深かったです。

 

banana-snow.hatenablog.com

 富野監督の絵コンテが高畑監督に徹底的に直されていたというのが見えてすごかったです…。(私がご本人だったら、めちゃくちゃへこむと思う…)でも、確かにアンが野球選手のように投げることはないよな、と思うので、高畑監督の直しの理由もわかるんですが。

 

Zガンダム以前の作品は忘れているものが多くて、懐かしいなあと記憶を引っ張り出しながら見ていました。そうそう、エルガイムをもう一度見たい! 永野護氏のメカ好きだし! 主題歌の記憶はあるので子どものころ見ていたとは思うのですが、内容はほとんど覚えてないんですよね…。

 

私的動揺ポイント1

エルガイムコーナーの次はZ&ZZのコーナーだったんですが、いきなり映像が壁のスクリーンに大きく映し出されていまして、それがZZの「重力下のプルツー」でプルとプルツーの戦うシーンだったんですよ。ガンダム屈指の名バトルだと思うんですが、それがいきなり目と耳に飛び込んできて、胸がどきどきしました。

で、そのプルたちのバトルの後は、最終話のZZとキュベレイの戦闘シーンで、ハマーン様とジュドー君の会話が流れて、動揺しまくりました。勿論このシーンはZZのクライマックスシーンだし、彼らの会話は、後の逆シャアにつながるポイントだと思うのですが、ハマーン様ラブな私にとっては見るのが本当に辛い…(涙)。

結局、ZZからは、後ろ姿のハマーン様から始まる「サイレント・ヴォイス」の後期オープニング、「重力下のプルツー」のプル vs プルツー、そして最終話のジュドー vs  ハマーンの3シーンが会場で流されていました。

キュレーターさん、わかっているねぇと思いつつ、ZZはハマーンとプルの物語だもんなぁと再確認。大きな壁スクリーンでハマーン様を見てなんか胸が一杯になりました…。ZZは不遇だし、テレビシリーズの場合、こんな大きなスクリーンで見る機会なんてもう二度とないでしょうから、スクリーンの前でしばし佇んで、感傷にひたっていました。

 

私的動揺ポイント2

1984年7月17日付けの企画書「ゼーター・ガンダム 逆襲のシャア」というZの企画初期案が出ていたのですが、これが凄いんです。

後半部分に「ニュータイプ・ウォーズ」というサブタイトルのセクションがあるのですが、ここのハマーンとシャアの関係が、なんかもうねぇ、泣けるんですよ…。(以下、頑張って会場でメモを取りました。ほぼ原文ママ)

  • カミーユは癒されない心をハマーンの心の中に見つけようとする。しかしハマーンは理想主義者である。
  • シャアは自分の中にあるニュータイプ的なものを道具として使い過ぎたという感覚と、憧れだけでその能力を捻出したという無理さの中で個人的に敗北を喫してゆくだろう。その事を泣くのはハマーン・カーンなのだろうか。
  • ハマーン「せっかく良い資質を持ちながら、私たち以上に理想を追い過ぎたのだ。普通の人々をブローアップさせる事はできない。彼らは抹殺する以外にはない」そんなハマーンにカミーユはついていけない。
  • シャアはニュータイプの可能性を信じ、しかし人は脆く、自分は冷たい人間なのではないかという不安の中で、ハマーン・カーンの膝の上で死んでゆく。が、その時、ハマーン・カーンは全く別の理由で泣き、その涙を誤解して死んでゆくシャアという構造はニュータイプの敗北の象徴である。
  • その時に後を託されるのがカミーユ・ビダンだとすると、カミーユは自壊作用を示すかもしれない。

 

ハマーンの膝の上で死ぬシャアって最高にエモーショナルだ…。しかも膝の上っていうのがさぁ……。この初期企画でもやっぱりシャアは「母」を求めていたっていうのが、なんだかなあという感じです。でも、ハマーンが「別の理由で泣く」っていうのが気になる。どんな理由なんだろう? でもって、それを誤解して死んでいくシャアってどういうことよ? まあ、この二人のディスコミュニケーションは確かにニュータイプの敗北だよなぁ…。TV版Z本編では、ハマーンがカミーユを拒絶したこと(シャアとの過去の記憶を見られて激怒したシーン)が、ニュータイプ同志のコミュニケーション不全の象徴だけど、シャアとハマーンの関係も確かにそうなんだよね…。

そうそう、この企画書のハマーン・カーンの上記のセリフですが、テレビ本編でも似たようなことを言っていたよね。彼女の性格については原案からそんなに変わっていないのかも。

 

あと、1985年10月のZZ企画書段階では、シャアがハマーンを討つことになっていたそうです。まあ、シャアに殺されるならハマーン様も納得なのかもしれないけど、そこでは彼女に救いがあったのだろうか…。

 

 

他にもVガンのカテジナさんのえぐいシーンがモニターで流されていて、泣きそうでした。最終話のカテジナさんはかわいそうで見てられない。あと、リーンホース特攻のシーンとか。Vガンは見るのが辛くて、本放送以来まだ見直せていません。

 

∀の最終話のエピローグ(月の繭が流れるシーンね)は「奇跡の6分」と呼ばれていましたが、本当にそうだと思います。∀はガンダムシリーズの最高傑作だと個人的に思っていますが、あのエピローグはもう本当に奇跡だよね。このエピローグの映画版絵コンテが展示されていて、興味深かったポイントを一つ。キエルがディアナとして月に戻り、挨拶をするシーンで「ディアナ・ソレル、また皆さんの元に、ここに置いていただきます」というカットでディアナの名前のところに「キエル・ハイムもありか」というコメントがついていたんですよね…。もしキエル・ハイムと宣言するならそれはそれで面白そうだけどね……。あのエピローグは完璧だったので、今のままで素晴らしいです。映画版でなんか変更があったんだろうか? 映画版は好きじゃなくて、見直す気になれないんだよね…。マチュピチュのエピソードが削られているのはすごく不満。あのエピソードは王の交代を示すエピソードだから重要なのよ!でもって、キエルの演説もTV版の方が圧倒的にいいと思います。

ぶっちゃけ、富野監督って映画作るのがあまり上手じゃないと思います。ただ、TVアニメだと評価されにくいんだよね…。賞(特に海外の)は映画がメインだし、日本のTVシリーズで構成されるスタイルは海外ではありえないからねぇ…。この展覧会のように総合的に映像作家としての富野監督を評価するのは重要なことだと思いました。

 

他にも色々感想はありますが、図録を購入したので、それを読んでからボチボチなんか書ければ、と思います。(とは言え、今、図録読んでいる時間はなさそうです)