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ぬるい懐古オタクがだらだらと語るだけ。クシャナ殿下と南雲隊長とハマーン様に愛が偏っています。

漫画「進撃の巨人」最終巻(34巻)を読んだ!

表題の通り。最終巻を読みました。

扉頁の次にある登場人物紹介がなくなっていましたねぇ。これはよかった。正直、ハンジさんの顔にバツマークがつくのを見たくなかったので。

最終巻の読者に今更人物紹介も必要がないということなのでしょうが、まあそれなら今までだって必要なかったわけだし。ミケの顔にバツがつけられているのを見たときはすごく悲しかったから、ハンジの顔にバツがついているのを見たら泣いちゃうかもと覚悟していました。こういう悪趣味なのが進撃だとわかっているんだけど、地鳴らしに巻き込まれ遺体すら残らなくてちゃんと弔ってもらえなかったことを思うと、もうこれ以上ハンジさんの死を悪趣味に晒されたくない。

 

さて、最終巻の私の興味は最終話の加筆修正箇所でしたが…。

(以下ネタバレ全開です)

 

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もう六月?!

もう六月かあ。夏はあと2か月しかないのに、夏の間に片付けておくべき仕事が全然予定通りに進んでいない。夏に日本に帰るのは諦めました。あまりにも帰国の手続きと隔離のルール(というか求められる書類)が煩雑なので、どう考えても無理だ。帰国はいつも2週間から3週間程度なんだけど、隔離しているうちに滞在が終わってしまうので、帰国する意味がない。そもそも、うちの老親がまだワクチン接種終わってないんだよ。私自身は4月末に二本目(ファイザーの)を終えたので、5月の半ばから友達に会ってご飯食べたりお茶したりしているんだけど、ワクチンを終えていない老人に会うのはちょっとやばいよね。うちの親のワクチン予約は、私が頑張ってオンラインで取ったんだけど(オンラインのチケット取りは大得意!)一回目が6月末で2回目は7月末。なので、老親に免疫できるは、秋学期が始まるころだ。はあ。冬休みに帰れればいいけど、無理だろうなぁ。2年以上帰国できないのは辛いです。

 

閑話休題。

 

6月といえば、色々モヤモヤしていた進撃の最終巻が発売されるではないですか。

時が流れるの早すぎ。

最終回の問題点はマーレ編の構造そのものから来ていると思うので、最終回がちょこっと変更されたくらいでどうにかなるものではないと思っているのですが、それでも気になります。単行本の加筆修正で、原作者様の考えがある意味浮彫になるので。

個人的な注目ポイントは以下の三点:

 

1.虐殺をどう扱うのか

  • アルミンのセリフは修正されるのか
  • 地ならし後の悲惨な世界や被害者に関する加筆
  • 能天気な大使ご一行の描写は修正されるのか
  • エレンの「犠牲」に寄り添う描写をどうするのか

2.女性キャラの描写

  • 始祖ユミルが暴力を振るわれ、奴隷として扱われていたのに、王を愛していたかのような描写を修正するのか
  • ヒストリアの妊娠と出産の経緯
  • ミカサはエレンの墓守のまま?(ミカサの自立はどこ?)

3.進撃(エレン)の過去介入とムカデ

  • ムカデの正体に関して加筆
  • 進撃(エレン)の過去介入能力と未来視能力についての詳細
  • 上記に関して、カルラの死&ベルトルトの駒扱いシーンに修正はあるのか

 

だいたいこんなものでしょうかねぇ。どこが加筆修正されるのか、期待はしていませんが、興味はあります。

 

単行本の一巻から読み返そうと思っていたのですが、なんかもう読み返せなくなってしまいました。特に、進撃の過去介入がどこまで入っているのかわからないので、どんなシーンを見ても、これはエレンが介入した・しなかった結果なのかなと思ってしまって。キャラの選択や死が今までと違う意味で無意味になってしまったと感じています。

 

にしても、非常に個人的な感傷なんだけど、どうしても言いたい。

ハンジさんを返して欲しい。

こんな結末なら、生かしててもよかったでしょう。

私の好きだった、マッドサイエンティストで暴走気味で、好奇心旺盛で聡明だけど空気よまなくて、優しくて闊達で、変人のハンジさんを返してほしい。

 

 

ベルセルクが…

ああ、なんてことに。

三浦健太郎先生がご逝去されたとの一報を見て絶句しています。

ベルセルクは完結しないよな…と読者はみんな思っていただろうけど、でもそれでももっと先の話で、あと10数年はグダグダしながらも続きが読めると思っていたんだよ。

それなのに…。

私は妖精の島に向けてファルネーゼの婚約者たちと一緒に海を出たあたりで、読むのをやめてしまったんだけど、それまでは頑張って追いついていました。

最近、進撃にはまっていたけど、進撃も終わったから、そろそろベルセルクに復帰するかな~なんて呑気に考えていた矢先なので、ショックです。

エルヴィン・リヴァイ・ハンジの関係が、グリフィス・ガッツ・キャスカみたいだなと懐かしく思いだしていたところなのに。

あと、これも偶然なんだけど、最近、フィンランドのメロディック・スピードメタルのBeast in BlackというバンドのBerserkerというアルバムを気に入ってヘビロテしているんだけど、なんとアニメ版ベルセルクのファンで、このアルバムを作ったらしい。

 

はー、復帰しようとした矢先で、これか…。辛い。

 

この先、どう完結するのか、何かメモのようなものを残されていなかったんだろうか。

でも、闘病の末という感じではなくて、突然のご逝去のようなので、準備をする間もなかったと推測するけど…。

先が読めない読者もつらいけど、何よりも先生ご自身が無念だっただろうに。完結まで導けなかった編集部も無念だろうなぁ。

 

ベルセルクの一番の思い出はアニメ化する前に、編集部主催のファンを集めたイベントがあって、当時まだ東京で会社員をしていた私は、仕事を早く抜けて、イベントに駆け付けたんです。三浦先生はちょっとシャイで真面目そうな方だという印象だったな…。

このイベントは抽選制で、私は当選しなかったんですけど、当時、ベルセルクファンが集まる掲示板があって、そこで当たった方にチケットを譲っていただいた覚えがあります。あの当時は、まだ個人サイトが全盛期で、BBSで色々な話をしていたのが懐かしい…。

 

 

こうやって進撃の最終話を見届けた矢先に、長い間ファンだった(でも離脱してしまった)ベルセルクの未完を知って、本当に残念だ。でも、一番無念なのは三浦先生だよね。はあ、辛い…。

 

巨人の力の行方

進撃とナウシカについて書こうと考えていたんですけど、ナウシカは改めて別にエントリーを書きたいなぁ。で、しつこいんだけど、進撃の最終話についてもう一つ気になる点があるので、以下自分用メモ。

 

巨人の力がなくなったからその点だけはよかったんじゃないか、という意見を散見するので、進撃における巨人についてつらつらと考えています。考えは全然まとまっていないけど。

  1. 巨人の駆逐と自由の追求
  2. 巨人の力と差別(マイノリティの分断)

以上について。

 

個人的に、最終話で巨人が駆逐された(8割の人類は死んだけど、当初の目標は達成した)から良かったねといえることはないなーと思っています。

 

1.巨人の駆逐と自由の追求

確かに初期のエレンは巨人を駆逐するのが調査兵団に入った目的だと言ってはいたんだけど、自由の追求という側面がどんどんフォーカスされていったように思える。

当初、エレンの巨人駆逐の動機は

A)母親の仇を打つ

B)壁が自由を妨げている(壁があるのは巨人から人類を守るため。で、その壁の外に出るには巨人を駆逐しなければならない)

の2つが主要なポイントだったはず。

巨人を駆逐するのはあくまでも彼らが(壁内)人類の自由の妨げになっているからで、母親の仇(もしくは仲間の仇)という点を除いてはそれ自体が目的になっているわけではない。

マーレ編が始まるまでは、壁の外の世界に出るという自由を確保するために巨人を駆逐するというのが大きな動機で、それ自体はエレンも調査兵団の目的と一致している。

ただ、最終話で母の死は実はエレンが自ら仕向けた結果という衝撃の事実(!)が判明したので、結局自由の追求というのが動機としては一番のように見える。

なので、巨人の駆逐は、自由の獲得という主目的を達成するための手段という面が大きいんじゃないかな。

 

で、

1)無垢の巨人をパラディ島からほぼ駆逐

2)無垢の巨人はもともとエルディア人

3)無垢の巨人はマーレによって生体兵器として無理矢理巨人化されたエルディア人

の3点が判明した段階(海に出る頃)で、巨人を駆逐することは自由の獲得の手段と一致しなくなった。

 

エレンが欲しかった自由って結局何だったんだろう、と疑問に思っています。

地ならしをする運命から逃れること? 

自分の邪魔をするように見える人を排除すること?

壁を構成する超大型巨人を全て解放し、世界を破壊すること?

131話で地ならしをしている最中、子どもエレンが「自由だ」といって喜んでいたし、海に出た時も壁の外の人類は全て敵で、全て殺せば自由になれるのかって自問してもいたけど、結局、そういうことだよねぇ。

 

進撃の巨人の能力がはっきりとわからない上に、エレンが未来の何をどこまで見ていたのかが原作ではっきりと言及されてない以上、エレンが巨人の力の消失する未来を推測していたのかもはっきりしないけど......。

結局、 巨人の力の無効化というのがエレンの目的には見えない。地ならし(目的1)を起こし、ミカサに自分を殺させた(目的2)結果の産物のように見える。

たとえエレンの本音が地ならしを「なんだかよくわからないけどやりたかった」という破壊衝動だったとしても、パラディ島を守るという建前が地ならしを起こす動機であって、さらにその先にあるユミル成仏による巨人力消失は単なる結果だと思う。

 

「エレンがエルディア人を巨人(の力)から解放し、エルディア人が自由を得た」のは結果論だから、「巨人力を消失させるという最大の目的が達成されたからよかった」という考えに対してもやもやしている。

地ならしという虐殺によって最終的に巨人力の消失があったからよかった!などという達成感を読者に感じさせているのはやっぱり納得できない。(これって、戦争にはいい点もあった、とか、ファシズムにもいい点があった、などと寝ぼけたことを言うのと同じだと思う)

 

 

2.巨人の力と差別(マイノリティの分断)

「巨人の力からエルディア人を自由にした」と単純に喜べないのは、劇中で、巨人化とエルディア人の被差別が結び付けられているから。

もう巨人にはなれないし、普通の人類になったので、差別しないでね!というのは、差別される側がマジョリティと同化することで、差別されなくなるという言説と全く同じだから、非常に宜しくない。日本人の私が、白人アメリカ人に同化したらこの国で差別されなくなりますよ、などと言われたら、ふざけんな!と思うもの。

ただ、エルディア人によっては、「巨人になんかなりたくないし、もしかしたら悪意のある人に巨人にさせられてしまうかもしれないから、その原因を取り除けるのなら取り除きたい」と思う人が出てくるのは十分あり得る。だから、巨人の力の喪失をポジティブに受け止めてもおかしくはない。

さらに言えば、巨人化がエルディア人のアイデンティティになっていれば、それは奪われるべきではないけど、劇中のエルディア人にとって巨人化がアイデンティティになっていたとは見えないので、巨人の力の消失は賛否両論でいいと思う。(正直、巨人の力が消失してもしなくても、どっちでもいい)

むしろ、その巨人化を差別の原因とし、人間兵器として利用していたマーレの体制が問題とされるべきだったのに、その点が全く触れられていないのがマーレ編の大きな問題だと言いたい。

結局、差別する側(マーレの体制、もしくは差別する「世界」)をきちんと描かず、差別される側のエルディア人が分断し、争うことにフォーカスしているのは、差別問題を取り上げているのに、差別する側を利する描き方になっている。

 

マーレ編で私がずーっとストレスを感じていた原因として、以前のエントリーでもそのマーレ体制を描かないことに言及していたんだけど、

 

banana-snow.hatenablog.com

 

差別するマーレの体制が描かれなかったことに対するひずみがこんな風に出ちゃうのか!と最終話を見て思ったよ。

 

まず、マーレ編で描かれている対立関係は

  • エレン(&イェーガー派) vs マーレの戦士隊 vs パラディ島の政権(&ハンジたち一部の調査兵団)

の三つ巴。

これって全員エルディア人。一部、マーレ人の義勇兵たちとマガト、ミューラー長官などがいるけど、メインではない。差別される側たちが分断し、争っているのがメイン。

地鳴らし後、連合艦隊なんかも出てくるけど、すぐに壊滅して、結局、

  • エレン vs  地鳴らしを止めるための寄せ集め

という構図になるけど、これも当然ながら、エルディア人同士の争い。(オニャンコポンを除く)

 

そもそも、巨人化するエルディア人を差別し、収容所に入れ、兵器として使用しているマーレの体制がどうしてうやむやのままで、その責任が追及されていないんだろう?

マガトは責任をとって、殿を務めて自爆したけど、マガト個人の責任問題だけでもないでしょ。ミューラー長官の反省なんて土壇場で追い詰められたから、苦し紛れの言い訳にしか聞こえないし、最終話でもまだああやってエルディア人を殺そうとしている。しかも、あの時、エルディア人は巨人の力を失ったから敵ではないとアルミンに証明させているなんて、差別される側が、差別する側に、差別される側の無害を証明しなきゃいけないなんて。これは差別する側からの視点だよね。

地鳴らしによってマーレ本国はおそらく壊滅的なダメージを受けたはずだから、マーレはエルディア人差別の代償を支払ったのかもしれないけど、それは原作に描かれていない。地鳴らしの被害の詳細が原作で描かれたのは、結局、ラムジーたち難民キャンプにいた弱い立場の人たち。

 

差別する側(マーレ本国の体制)を描かず、差別される側同士の戦いにフォーカスすれば、当然ながら分断されたマイノリティしか見えなくなってしまう。そして、本来戦うべき敵である差別するマーレ人とその体制が隠蔽されてしまった。これは、差別される側ではなく、差別する側に利する描き方だよね。(おそらく作者様はそこらへん気が付いていないような気がする。あまり考えていないというか…)

 

これって、現実社会でもよくあるんだよな…。マイノリティ同士の分断を煽った結果、マジョリティの利益になるっていう。人種差別と暴力が日常のアメリカで長く仕事している私にとって、非常に嫌な描き方だわ。

 

さらに付け足せば、パラディ島の人々は自分たちが「被差別民」であるという意識がないと思う。島の外に出た調査兵団の一部は確かに差別される現場を見たけれど、島内にいる人々は、むしろ捕虜のマーレ人を差別する側。結局、パラディ島視点にすれば、差別される弱者の視点は消えて、差別する側というか強者の視点になってしまうのかもね。

 

「世界」の描き方もマーレ同様に、描かないことで、差別する側を隠匿しているように見える。そもそもマーレ編の「世界」っていうのがよくわからないんだよね。あまりにも多様性に欠けていて、現実味が全くない。ユミルの民を保護する会とかいうわけのわからない会議が描かれていたけど、あれって全員マーレの回し者じゃないの?っていうくらいに不自然な、一方的な会議。マーレに敵が多いのなら、パラディ島と手を結ぶ勢力は絶対あったはずだし、ヒイズル国のような立場に立つ国もあったはず。世界が敵だといっても、その「世界」があまりにも狭くて不自然だ。(いや、勿論、メタ的に言えば、地鳴らしを正当化するために世界とマーレ全てを敵にしているんだけど)

タイバー公の宣戦布告の時、レベリオの小さな野外劇場に要人が集まり、「世界の中心」みたいだとピークが言っていたけど、まさしくその通りだね。あの小さな空間がマーレ編の云う「世界」なんだよ。

ところで、面白いと思ったのが、進撃は懐かしの「セカイ系」じゃないかという意見。ああ、なるほどと思いました。あの小さな「セカイ」に、社会体制を描かず、主人公の仲間たちだけで「セカイ」の命運が決まるというのは、確かに「セカイ系」っぽい。

でも、「セカイ系」なら、それらしくして、人種差別問題や虐殺を中途半端に取り込んで物語を語らないでよ。繊細な問題なんだから、おざなりに扱うのなら、手を出さないでほしかった。

正直、巨人化によって差別される人種を描かなくても、十分に世界観を築けたと思うけど。

このあたりは、作者様よりやっぱり編集の責任が大きいと思うな。講談社も進撃で儲けているんだし、世界的に人気の作品なんだから、ちゃんとブレインを雇って、サポート体制を整えるべきだった。

 

 

ちなみに、もし進撃が漫画版ナウシカほどのラディカルさを追求するのなら、

A)巨人の力と人類の平和的な共存(ハッピーエンド風)

もしくは

B)人類は無垢の巨人に駆逐され、地球は無垢の巨人のパラダイスになる(バッドエンド風)

というエンディングを見てみたかったな…。

 

 

いらっしゃいませ!

なぜか急に閲覧が増えていてびっくり! こんな辺境の地のブログをどうやって探し出されたのかなぞですが、恐らくツイッターでリンクが貼られたのではと察しています。私と同様に進撃の最終話にもやもやしている人が多かったんですかね。せっかくですので、ごゆっくりなさってください。( ´・ω・`)_且~~  同志の方はまた遊びにいらしてくださいね。

 

いや、もしかして最終話に満足している方が嫌がらせ?目的で紹介したなんてこともあるのだろうか…。あ、最終話に満足していて、エレミカアルの絆に涙したとか、104期の友情が尊いとか感じていらっしゃる方は、あまり読んでも面白くないブログだと思いますよ。最終話を思いっきり批判していますし。(最近はマーレ編の構造そのものに対しても批判的。)

あと、私の推しキャラは、地ならし賛成派の方が嫌いなハンジさんですので、そこのところもよろしく!

 

にしても、破壊力のある最終話だったなぁ。あそこまで、今まで築き上げたものを全てぶち壊す(悪い意味で)のはある意味珍しいのでは。

おかげで最後の単行本も冬からのアニメもちっとも楽しみじゃなくなりました。(いや、最後まで見届けるつもりですけど)

あれだけ好きだったジャンやピークちゃんにも冷めてしまったのが、自分でも悲しいです。アルミンはもともと私にとってよくわからないキャラだったんですけど、でも地ならしを止めようとしてからイェーガー派の読者たちに批判されていたので可哀想に思っていたんです。でも、今は同情する気がすっかり失せました。あの最終話を見ていて、ハンジが死をもって託したことが、104期の子たちに何一つ伝わっていない様子に愕然としたので、そりゃまぁ、冷めるよねぇ。138話の茶番は何だったんだろう?

ある意味ハンジさんが最終話のあの顛末にいないのが私にとっての救いなのかも。

ぶっちゃけ、キャラ萌えに逃避したいなぁと思ったりもします。実際、pixivで素晴らしい二次創作が山のようにあって、とても心を癒されているので。

ただ、彼女が命を懸けて伝えたことが、あの最終話で全てないがしろにされているのを見ると、せめてファンだけでも声をあげなきゃと思っています。(私は特にしがらみもないからね。このジャンルでは二次創作もやっていないし、ツイッターもやっていないし。日本に住んでさえいないもの。)

ハンジさんの死を無駄にしたくないし、させない。

 

ああ、ナウシカと進撃について書きたかったんだけど、今度こそ次のエントリーで。

 

 

物語装置としての虐殺 (地ならしとコロニー落とし)

引き続き自分用メモ。どうしても今、書き残しておきたい!(あとで思考を振り返るのに便利だから)

 

今までコロニー落としやxxxインパクトなどという人類虐殺ネタを散々消費してきた私が、今回なぜ進撃での虐殺を看過できなかったのかずっと考えています。

結局、虐殺を物語の装置として見る、つまり、その背後にある無数の虐殺された人々を見ないことにするには、ある一定の条件が必要だとわかりました。で、その条件がなければ、私は虐殺を物語装置として見れなくなるというのがわかったのは成果かな。

勿論、今までこの手の虐殺をお約束として消費してきた自分に対しての反省でもあります。

 

比較的訓練されたオタクである私ですら、進撃の虐殺を舞台装置として看過できなかったので、そりゃあ、慣れていない海外読者なら、なおさら拒否反応がでるよな。

 

今のところ判明した条件は三点:

  1. 虐殺が歴史的背景
  2. 虐殺被害の詳細が描かれない
  3. 虐殺が現実世界と繋がっていない(歴史・社会的に繋がらない)

 

 

  1. 虐殺が歴史的背景

ファーストガンダムの冒頭で、連邦とジオン公国の独立戦争で総人口の半数を失ったという、かの有名なナレーションがありますが、コロニー落としの映像があるんですよね。これは勿論虐殺ですが、あくまでも歴史的背景であり、物語のスタート地点なので、単なる背景と見なせるかな。

なので、進撃の最終話も、エレンが死んでユミルが成仏した段階で話を一旦締め、200年後くらいの世界に話が飛んだのなら、地ならしを歴史的背景とできる(つまり虐殺された被害者のことを描かなくても見逃せる)から、まだ受け入れられたかもしれない。3年後なんて歴史的背景となるにはまだ早すぎるよ。被害者とその関係者が生存している間は、歴史的背景になんてならない。

 

2. 虐殺被害の詳細が描かれない

宇宙世紀でコロニー落としが一番細かく描かれていたのは、ZZでダブリンにコロニーが落ちたときかな。ハヤトが戦死したり、カミーユが苦しんだりと、コロニー落としをめぐる攻防は結構細かく描かれていたんだけど、民間人の虐殺が詳細に描かれたわけじゃないんですよね。コロニーが落ちて爆発が起き、建物が壊れるくらいの描写です。一般人が爆発に巻き込まれて体が千切れるとか、その手の描写は全くないですね。

 旧劇のエヴァも確か人類がLCLのスープになったよね。あれも人類虐殺エンドだけど、具体的な虐殺描写(人が液状化になる過程)はなかったからねぇ。そこらへんは美しい映像で詳細を覆い隠すのがセカイ系たるゆえんだ。

 

結局、虐殺の被害者の詳細が描かれないと、虐殺の背後にある無辜の人々の死を見すごすことができる。描かれていないものはないものと見なせるので。まあ、それもどうかと思うけど…。ただ、道徳の教科書ではないので、物語装置として虐殺を使うこと自体に反対しているわけではないんです。被害の詳細がなければ、とりあえず「悪いことをした」という認識だけで済みます。

進撃の場合、物語装置になりえないのは、グロテスクなまでに人が踏みつぶされるシーンを描いてしまっているから。131話でラムジーたちを残酷に踏みつぶすシーンをあそこまで執拗に描いておいて、ただの物語装置なんて思えるわけないでしょ。

ところであのシーンで子どもエレンが「自由だ」とキャッキャしているシーンが対比として描かれているのはすごいよね…。あの回はエレンが「壁の外に人がいてがっかりした」っていう本音を話して、私はある意味納得したんです。だって、あのエレンがパラディ島のためなんていう美しく仲間思いの理由だけでこんなことするのかねぇと疑問だったので。なんというか、利己的な欲望がここで見えてきて、ある意味、エレンも人間だと思えて、ちょっとほっとして嬉しかったよ。(それまで彼の心理が全く見えてこなかったら、ここで見えてきたと思えた。)ただ、子ども姿だから、今は、「子どものしたことだから免責だ」と言い逃れるつもりじゃないかと疑っています。(正直、作者様の倫理を全く信用できなくなったので、何を見ても疑心暗鬼。)

ただのモブではなく、ラムジーという名前のある子どもをわざわざゲストキャラのように登場させ、残酷に死ぬシーンを見せられれば、そりゃ、地ならしを舞台装置になんか思えないでしょ。かといって、このシーンこそが作者様の描きたかったシーンなはずだから、省略はしたくないんでしょう。なら、最終話で地ならしの顛末を描き、責任を取らせることで、作者としても責任を取らなきゃ。中途半端に済ませるなよ。

さらに言えば、辛いからあんまり思い出したくないけど、もう一人名前のあるキャラで地ならしの被害者がいる…。ただ、彼女は戦闘要員で、自分から超大型巨人に戦いを挑んで、燃え尽きて踏み殺されたから、ラムジーや他の虐殺被害者とは違って、何も知らずに踏み殺されたわけではないけど、それでも、地ならしの被害者の一人だといえる。彼女の死に関して、私は、最初、せめて綺麗に死なせてくれてありがとうと思ったんですよね。(以下、ハンジの死に関する初見時の感想エントリー)

 

banana-snow.hatenablog.com

 

でも、今は、彼女の死もラムジー同様に残酷にリアリティを以って、踏みつぶされる様を描くべきだったと思います。勿論、ハンジさんがそんな残酷に描かれることを考えるだけで胸が潰れそうに痛むけど、彼女の死を美化して虐殺の残酷さを誤魔化すべきではなかった。作者様がそうやって綺麗に誤魔化したのは、彼女に少しなりとも思い入れがあったからなのか、ファンの反発を恐れたのか、キャラクターグッズの売り上げを気にしたのか、しらないけど。

メインキャラの一人(しかも割と人気キャラ)を地ならしで死なせた以上、舞台装置にはなりえないな。アルミンに役割を継がせるためにハンジを退場させる必要があるなら、その前に、フロックと一騎打ちさせて二人退場という形にもできたと思うけど。それに、ただアルミンに役割を譲るだけなら、死亡じゃなくて重傷で戦線離脱でもよかったわけで。結局、今になって思うに、ハンジの死は地ならし(虐殺)に反対したから、その罰として虐殺されたのでしょう。

(彼女の死を考えると私のソウルジェムが濁るので、正直あまり考えたくない…)

 

彼女を無能な理想論者として描き、虐殺反対者が無能だから、「仕方なく」虐殺を行ったという描かれ方が非常に不愉快です。それは、虐殺を「どうしてもやりたかった」作者様の欲望(そして、不憫にもそれを仮託されたエレンの欲望)を誤魔化し、反対論者にその責任を擦り付ける様は卑怯だな。ただ単にやりたかったんでしょ? それを相手のせいにして、「仕方がない」から虐殺を行ったという風にみせかけるのは、世界的にこれだけ売れている漫画の在り方として非常に問題があると言いたい。

 

以前、マーレの体制が描かれていないから、話し合いや反撃の手段が見えないし、地ならししか方法がないように描かれているのはおかしいとエントリーで書いた覚えがあるんだけど。

 

banana-snow.hatenablog.com

 

地ならしを「どうしてもやりたかった」作者様&そのエゴであるエレンが

A)世界連合(これもよくわからない。世界連合って具体的に何よ?)に虐殺される

もしくは

B)世界を虐殺する

のどちらかしか方法がなくて、第三、第四、第五…の方法がないように見せているのはそりゃそうでしょう。だって、やりたいんだもの。始祖の力を手にしたエレンは地ならし以外の選択肢を選ばないし、メタ的に作者様もそれを描かない。だから、選択肢が他にないんじゃなくて、ないように見せているだけ。そして、虐殺するのも虐殺されるのも否定し、他の選択肢を選ぼうとするハンジを無能に見せ、虐殺で殺すのは見せしめかな? 

虐殺をしたいからやるのが本当なのに、「仕方なく」やるという風に見せかけるのは、言い訳がましくてみっともないし、その意図を誤魔化すのは不誠実で卑怯だ。

 

おかげで、虐殺を必要悪として正当化している読者をそこらじゅうで見かけるし。

そもそも、戦闘員を作戦行動中に殺す行為と、無抵抗な民間人をターゲットに大量に殺す虐殺を区別すらできていない読者がたくさんいるのに、こんな描き方をしたら、現実で何か起きても、言い逃れできないと思う。

 

3. 虐殺が現実世界と繋がっていない(歴史・社会的に繋がらない)

 

現在一番懸念しているのがこの点かな。

ガンダムの場合、地球の地理はそのまま使い、民族は名前にその由来を残している程度で(例えば、ミライさんは日系の名前)、宇宙世紀というはるか遠い未来だから、現実の歴史とつながっているわけではない。私たちの子孫がはるか先に宇宙へ移民するような時代になれば、起こり得るかもしれないけど、あくまでも未来だから、今の私たちの社会が架空の将来につながるかもしれないというだけで、現実の私たちとべったり地続きではない。

 

進撃の場合、海に出るまでは、近世ヨーロッパ風の社会&風俗描写で、ファンタジーにありがちな設定なので、特に現実の歴史とつながっている感じはあんまりしない。人物の名前がドイツ風なので、ドイツっぽいというくらいで。

 

問題は、海以降、エルディア人の描き方が、ユダヤ人の被差別の歴史を強く思い起こさせるという点。差別される民族、腕章(←私としてはこれが一番アウトだな…)にゲットー。それから、名誉マーレ人というシステムもナチスによる名誉アーリア人を思い出させる。エルディア人をユダヤ人の苦難の歴史になぞらえているのは言い逃れができない。(私が編集だったら、腕章と名誉マーレ人の描写は少なくとも止めさせると思う。問題点が多すぎるし、それがなくても物語として成立するでしょ?)

「エルディア人(仮想ユダヤ人)が差別に耐えかね、反逆して、人類の8割を虐殺しました。そして殺戮者に感謝しています」なんていう話を聞いたら、当のユダヤ人はどう思うんだろうか…。ホロコーストを経験した人たちを虐殺の当事者にするのは、あまりにも無神経だよ。正直、アンチセミティズムと解釈されても驚かない。

ただ、もしアンチセミティズムの作品だと判断されたら、北米市場からは抹殺される……。表現の自由を重んじる私としては、それだけは避けて欲しいところ。少なくとも腕章と名誉マーレ人の設定を削っていれば、言い逃れはできそうだけど、うーん…。ただ、これは、作者様よりは編集の怠慢だと思う。講談社も進撃で儲けているんだから、サポートチームを作って、どこまでが許容範囲がリサーチさせるべきだった。人種差別や虐殺という繊細な問題を扱うのだから、クリエイターと作品を守るためにポリコレの許容ラインをきっちりリサーチさせるべきだったよ。

アンチセミティズムとまではいかなくても、cultural appropriationとして批判されるのは十分ありえるよ。結局、ユダヤ人の苦難の歴史を都合よく使ってお金儲けをしているという風に見えるもの。

cultural appropriationの批判を避けるなら、日本が舞台でもよかったのかも、と思ったりもします。コードギアスのように日本が植民地になって、仮想大英帝国のブリタニアに支配されるなんていう設定もどうかと思うけど、まあよそ様の被差別の歴史を都合よく拝借したわけじゃないからねぇ。

 

 アニメのシーズン3を見終わったときに、差別される人種が出てきたときに、すごく心配したんだよね。(その時の初見感想エントリー。今になって読めば、初々しい視聴者だったなぁ。はあ。)

 

banana-snow.hatenablog.com

 

なんかもう色々言いたいことだらけだわ。

あと、ナウシカと進撃について書いておきたい。(まだ、あるのかよ!とセルフツッコミを入れておこう)

 

 

悪役の矜持(進撃とガンダムと)

まだ進撃の最終話にモヤモヤしています。前回のエントリーで、単行本で加筆修正してほしいと言いましたが、しなくていいです。あのエレン犠牲強調エンドでそのまま単行本にして、アニメもそのまま作ってほしいです。貧乏くじをひいたMAPPAさんはお気の毒だと思うけど。そして、北米マーケットでどう炎上するのか見てみたい。(←性格悪いのは百も承知)

 

にしても、私はそもそもダークヒーロー・ヒロインや悪役が好きなんですよ。何しろ、ガンダムではジオン贔屓で、コロニー落としを遂行したハマーンをこよなく愛して、生存ifの二次創作までやっちゃうくらいだし、コードギアスのアニメ自体は全然好きじゃなかったけど、ルルーシュは割合好きだったんですよね。(というか、あのアニメでは他に好きになれるキャラが全くいなくて、消去法の結果、ルルーシュ視点で見ていたって感じですが)

で、そんな私が、ダークヒーローと化したエレンにこれっぽっちも同情できなかった理由をつらつら考えてみました。いや、最終話前までは少し同情していたし、救われて欲しいなあとも思っていたのよ。でも、完結した今、エレンの中途半端さに同情心の欠片も失せました。むしろフロックの株が急上昇中。

以下、私の非常に個人的な悪役評価ポイント。

 

1.信念を最後まで貫き、潔い。(なので自らの行為には誇りを持ち、責任を取る)

 2.孤独であり、理解されることがない。そしてその不幸をひけらかさない。(ただ、モノローグで己の孤独を呟いたり、唯一無二のライバルに最後にそっと吐露するとか、そういうのはOK。)

 

エレンは自分の信念や行動原理がブレブレなんですよね。(作者様がブレブレともいうけど)仲間のためとか言いながらも、「なんだかわからないけどどうしてもやりたかった」とも言っていて、本当は何が目的だったの? 仲間のためとか言いながら、自らの抑えきれない衝動があって、それで人類の8割を虐殺した。なら、仲間のためなんて言い訳だ。しかも、自分が仲間を守るために仕方なくやったんだという言い訳をご丁寧に仲間の一人一人に遺言のようにメッセージを残しておいたなんて、未練がましくてみっともない。で、案の定、104期の仲間はエレンにほだされて、「エレン、ごめんなさい、ありがとう」なんだもの。仲間には悪く思ってもらいたくなかったんだね。

彼はそもそも孤独ではないし、自ら望んで、破滅へと進んでいった。未来視できるのがわかったころ、せめてアルミンくらいには相談すればいいのにと思っていたけど、自ら話し合いするという選択肢を選ばなかった。それを選んだら、地ならしまで到達できないからね。(何しろすべてが、未来視できて過去介入できるエレンの選択の結果だ。)

ただ、思うに、19歳エレンが人気が出たのは、そのクールでヒールなところだったと思うんですよ。悪くいえば、ハンジが煽ったように、まさしく中二病なところ。

で、ここからがif。

最後までエレンが意図を明かさず、駄々っ子のように本音も言わず、クールな悪役として死に、その意図は誰にも理解されない。(104期の仲間ですら、彼の意図は知らない)で、彼はひたすら罵倒され、忘れ去られ、彼の虐殺の恩恵を受けたパラディ島の人は彼が手を汚したことを知らずに、島の繁栄を享受する。

 

とかいうエンディングだったら、私はある意味で、悪役エレンのポイントアップ。それは、パラディ島の人々が、虐殺行為の恩恵を受けた平和だということに気づかず、104期の仲間たちも、彼らを守るためにわざとその手を汚したのがエレンだと気づいていないから。(ただ、現行の最終話において、パラディ島の人々も104期も、8割の人類の犠牲を無視しているから結果的に同じことではあるけれど。)

ただ、このようにクールな悪役としてのエレンを貫いた場合、

劇中ではエレンは否定されるけど、読者(特にイエーガー派読者)の間でエレンが神格化される可能性がある。

なので、エレンの子どもっぽい、みっともないところを出して、エレンの神格化を防ごうとした、というのが、作者様と編集部の狙いではないかな、と。

19歳エレンのカリスマを否定するのは、正しいと思います。

「逆襲のシャア」で、富野監督がシャアをみっともなく描いたのと同じで、私はその点をとても評価しています。

ただ、私の悪役好きポイントとしては、評価ダウン。ブレブレなエレンになんら同情しないし、逆シャアのみっともないシャアは嫌い。

 

私個人の思想とは全く相いれないけど、フロックは潔かったし、信念を貫いたので好きだ。彼は、エルヴィンの愚かな特攻作戦の被害者で、エルヴィン(&調査兵団)に使い捨ての駒にされたけど、その境遇から立ち上がり、リーダーシップを身に着け、今度はエレンを利用して、使い捨てされる立場から使い捨てする立場へとのし上がった。仲間を扇動し、上司を切り捨て、最後まで戦った。可哀そうだったのが、彼はエレンを利用していて、エレンも彼を利用していたけど、エレンの大切な仲間リストには入っていなかったから、やっぱり最後は見殺しにされてしまった。皮肉なのが、彼を看取ったのが、彼が反目した元上官のハンジで、ハンジはそれでも彼を否定しなかった。ハンジもエレンに見殺しにされたのは間違いないだろうから、フロックとおなじだね。

この二人が同じ回で死亡したのは、ハンジはエルヴィン時代の調査兵団のポジティブな象徴で、フロックがネガティブな象徴ということで、コインの裏表のようだから、同時退場ってことですか。でも、モブの雑魚キャラからここまでよくのし上がったと思う。敵ながらあっぱれという感じです。

(こういうキャラの立て方は本当に諌山先生上手なんだよな。だから、進撃は倫理的に危うくてもつい魅かれてしまう)

 

で、ここから逆シャアの話。

進撃の最終話で一番うんざりしたのが、エレンが104期の仲間たちからヨシヨシされたところ。人類虐殺をやっておきながら、エレンの死を犠牲と捉えて、エレンにごめんなさい&ありがとう、なんて生ぬるいわ。犠牲になったのは、地ならしで死んだ数億人の無抵抗の一般人でしょ。

どうやら、私は、悪役がお仲間に生ぬるくヨシヨシされるのが全くダメなようです。

そして、ようやく気付いたのは、なぜ私が逆シャアのエンディングにずーっとモヤモヤしていたのか、という点。

あのエンディングで、アクシズが地球に落下するのを防げたのはよかったんだけど、シャアの尻ぬぐいを男たちがしょうがないなーという感じで、協力して防いで、全員シャアと心中エンドというのが嫌いなんだわ。

あのアクシズ落下阻止シーンは確かに名シーンなんだけど、私としては、シャアをアムロがきっちり殺して、そのあとみんなでアクシズ落下を阻止というなら、納得したんだよね。シャアとアムロと仲間たちがみんなで力を合わせているように見えて、初見の時はすごく怒ったんだ。

その時の私が思ったことは「ZZでハマーンはシャアと同じことを考えて、同じことをやったのに、ハマーンは一人寂しく死んだ。なのに、なんでシャアはみんなと一緒に死んだの?」

初見当時は、まだ思春期の女の子だったから、シャアのみっともなさが受け入れられなかったけど、今は受け入れられているよ。(まあシャアに愛憎があるのは相変わらずだけど。)

当時はホモソーシャルという考えなんて知らなかったけど、私が逆シャアのエンディングに不満だったのは、シャアがまさしく男同士の絆で甘やかされたというところかな。その点が、ZZが終わったばかりで、ハマーンの孤独な死を悲しんでいた少女時代の私にはきつかったんだと思う。

ただ、ZZの最後で、もしハマーンがジュドーを道連れに死んでいたら、私は彼女をここまで好きじゃなかったと思う。彼女も信念を貫いて、潔く一人で死ぬことを選んだから、私は彼女が今でも好きだし、その意地と孤独を傷んでいる。

 

さらに言えば、 富野監督やCVの榊原良子さんがハマーンのことを否定的に語ってくれるおかげで倫理面が担保され、私は安心して二次創作したり、ハマーン様バンザイなんて呑気なことを言っていられるというのが今回よくわかりました。もし、富野監督がコロニー落としで人類粛清を正当化されるようなことがあれば、私は呑気にハマーン様ラブな妄想なんてできないもの。

もっとも、富野監督はシャアを甘やかしているとは思うけど…。

ところで、私はハマーンに肩入れしているから、彼女がシャアに愛憎があるように、私も彼に対して愛憎を持つようになったのか、それともそもそもシャアに愛憎があるから、ハマーンに肩入れするようになったのか、どっちなんだろう……。

 

ああ、あと地ならしとコロニー落としについて書きたいんだけど、時間がないので、次回のエントリーに。(いや、進撃のネタはもうそろそろ終わりにしますので。ガンダムに復帰したい)