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ぬるいオタクのひとりごと。だらだら、まったり、マイペース。

ZZのハマーン・カーンについて

また考えが変わるかもしれませんが、ハマーン様について現時点で思うところを以下に記録。

 

  1. ラスボスからヒロインへ
  2. ヒロインの孤独
  3. 少女から大人の女へ(ZからZZへ)

 

  • ラスボスからヒロインへ

ハマーン様はガンダムシリーズにおいて、唯一といってもいい、女性のラスボス。

勿論、Vガンのカテジナさんも、ウッソにとって、また物語的にもラスボスではあるけど、ザンスカール帝国という組織においては所詮一パイロットに過ぎないわけで。

その点、ハマーン様は、主人公が倒すべき敵として、ZZという物語として、そしてネオジオンという組織のトップとして、まさに完璧なラスボス。

女性でありながら圧倒的に強いパイロットであり、敵対組織の強力な指導者でもあるというのはガンダムシリーズで珍しいケースです。どちらか片方ならともかく。

女性のラスボスという点だけでも珍しいのに、ハマーン様はラスボスを2回やっているというのも特筆すべきことかと。

Zにおける三つ巴の戦いの中で、ハマーン様はシロッコとともにカミーユが倒すべき相手だったけど、結局シロッコだけがカミーユに倒され、ハマーン様は生き残った。なので、続編のZZで真のラスボスとして倒されたという経緯です。

 

二回ラスボスを務めたのは、シャアも同様だけど、勿論、シャアという人物は宇宙世紀シリーズの(影の)主人公なのでスペシャルなのは当然。ハマーン様もその点ではまさしく女版シャアともいえる程度には特別な存在かな。

ただ、ガンダムサーガにおいてハマーン様はシャアにはなれなかった。悪い意味でハマーン様はシャアのシャドウといえる存在でしかありえなかったから。(シャアと過去に特別な関係があり、彼になろうとしてなれなかったという意味でもね。)

でも、面白いのは、ZZにおいて彼女の孤独な部分がクローズアップされたことで、単なる悪のラスボスではなく、悲劇のヒロイン感が出てしまったというところですかね。

 

前作のZにおいて、ハマーン様がシャアと男女の関係だったことと、ハマーン様がシャアを諦めきれない部分を見せたことで、訳アリ過去を持つ女という点はすでに語られていたけど、ZZではそこに孤独な女という属性がつき、事実上ZZのヒロインに。

実際、ZZという物語はハマーン様がいなければ成立しない。極端な話、主人公はジュドーじゃなくてもいいし、ビーチャでもモンドでもグレミーでもラカンでもプルツーでも、ハマーン様を討った人がZZの主人公となり、物語は終了。でも、討たれるのはハマーン様じゃなければならない。それはZで生き残ったラスボスが彼女だけだから。当時の大人の事情でいえば、逆シャアの製作が決定し、アムロとシャアの一騎打ちに不要なキャラは全て退場させなければいけない。だから、ハマーン様が討たれて退場するのは既定路線。(ついでにカミーユとジュドーも退場させる。)でも面白いのが、そこで悲劇のヒロイン感満載のラスボスにしてしまったのがZZの後半パートだと思う。スタッフの間でハマーン様に同情が集まっていたのかもね。

 

  • ヒロインの孤独

で、ZZでクローズアップされたハマーン様の抱える問題は、1)指導者としての孤独、2)ニュータイプとしての孤独、3)女としての孤独、の3つが複雑に重なりあっていて、なかなか難しい状況。

 

1)指導者としての孤独

シャアがアクシズを去って、アクシズを一人で背負うことになった時からですかね。ただ、彼女の指導者としての孤独は、アクシズ(ネオ・ジオン)の政治的・軍事的オペレーションにおける孤軍奮闘というのもあるだろうけれど、ニュータイプとして人類の未来に対するビジョンをシェアできる人がいないという部分もあると思う。実際のところ、彼女のビジョンは独善的で選民主義なのでついていける人は少ないと思うけど・・・。実務面だけではなくて、NT能力に基づいた思想面での孤立というのはなかなか埋めがたいものがあるんじゃないかと。ここは、まさしく、シャア一択。(シロッコも可能性はあったけど)

ジュドーではハマーン様の指導者としての孤独を埋められないと思う。彼は元気で明るくていい子なんだけどね。

 

 2)ニュータイプとしての孤独

実際、ニュータイプってどの人もみんな不幸だよね。シャアはニュータイプの成り損ないと言われてたりするけど、まあ一応NTにカウントしたとしても、やっぱり不幸。なので孤独なのはハマーン様だけじゃないんだけど・・・。

彼女にとって不幸だったのは、接触したNTがシャア、カミーユ、シロッコと、どいつもこいつも曲者ばかり。さらに、ここで問題になるのが、NTの男女は恋愛関係に陥ってしまうということ。これは原作者におけるNT論の限界ともいえるけど、ハマーン様にとってはすごく不幸。シャアとは恋愛関係は破綻しているし、シロッコは女を駒として使うタイプで、ハマーン様とは相性が悪い。(ハマーン様は男の駒にならないよね。女王様気質だし。)

問題はカミーユ。彼とは精神感応をしたけど、結果的に殺し合いになってしまった。それは、カミーユとの精神感応では触れられたくない記憶を無理やり暴かれて、ハマーン様にとっては疑似的にレイプされたも同然だから。そもそもNT男女間における精神感応って精神的なセックスだから、勿論、カミーユは意図したわけではないし、彼に罪はないけど、ハマーン様にとっては望まない形で心の中に入り込まれたので、まさしく精神的レイプ。そりゃ激怒するよな。Zでのあのシーンは本当にハマーン様が可哀想で、見るたびに胸が痛む・・・。

ジュドーとは精神感応をしなくてよかったと思う。精神感応が疑似的セックスならジュドーはまだ若すぎるし、彼にも暴かれたら、ハマーン様が可哀想すぎて、救いがなさすぎるもの。 

 

3)女としての孤独

で、前述の通り、NT男女は恋愛関係に陥いるという点を考慮すると、ジュドーは子どもすぎる。ハマーン様がジュドーを篭絡しようとしたのはシャアからの影響かと思うと苦笑いせざるを得ないけど。異性のNTとはとりあえず恋愛関係(肉体関係?)に持ち込むというのは、女たらしのシャアならともかくハマーン様がするのはちょっとハラハラする・・・。だって、ハマーン様自身も大人ぶっているけど、シャアとの未熟な初恋に固執してるあたり、恋愛年齢は15歳くらいでしょ。恋愛に不慣れな少女が子供を誘惑しているようにしか見えない。

ジュドーがせめて17歳くらいで恋愛関係を持てるような年だったら、悪くないチョイスだったと思うんだけど、残念!

一番の問題は、シャアとの関係で受けた少女時代の傷をまだ引きずっていることかな。 ハマーン様がNTじゃない男と恋愛関係を持てればいいんだけどね。NTじゃなくてもいいから、傍にいてくれて支えてくれればOK、という風に彼女が割り切れればいいけど、それはなさそうだな・・・。ネオ・ジオンの女帝で、強力なNTで、気は強いし、ひねくれていて面倒くさいタイプだからね。そりゃ女として孤独に陥るのはわかる。

 

結局、この複雑に絡み合った孤独を一気に解決できそうな相手はシャアしかいないし、そういう点でハマーン様が彼に執着してしまったというのはすごくわかるんだよね。

シロッコも可能性があったとは思うけど、恋愛という面では疑問符がつくし、ジュドーは1)の部分が弱いし、恋愛相手としてはまだ子供。

 

一番手っ取り早いのは、指導者としての孤独を解消するために指導者を降りること。女であることとNTであることは変えられない属性だけど、指導者の立場は変えることができるからね。残っている2)か3)なら割となんとかなるんじゃないだろうか。

ただ、彼女にとってはアクシズ(ネオ・ジオン)の指導者を降りる選択肢は一番ないんだと思う。今更後には引けないだろうし、彼女自身の野心もあるし。結果的に一番犠牲になっているのは、女としての孤独かな。辛いね。

 

ZZはハマーン様の孤独をクローズアップしようとして、それ自体には異議がないんだけど、描き方がまずいと思う。

一番の悪手は、新興宗教の教祖サラサにハマーン様の内面を語らせたこと。これは唐突感が拭えないし、所詮電波女の戯言としか思えない。それと、ニュータイプ能力と宗教的霊能力がここでオーバーラップしたのも拙いと思う。

ハマーン様のモノローグがもう少しあればよかったんだけどね。「塩の湖」の回で、シャアに思いを巡らせながら自分の孤独を吐露している部分があって、あのシーンはすごく好き。こんな感じのモノローグがあと2回くらいあれば十分だったと思う。あとは、誰か第三者の視点で彼女の孤独が描ければよかったんだけどね。プルでそれができればよかったけど、難しいのはわかる。

 

最後に、メタレベルでいえば、ハマーン様の孤独は製作者側の限界を見せていると思う。

まず、男女のNTにおいて、関係性が恋愛関係になってしまうというのは、NT論の限界だと思う。そして、その次は母と子の関係性になってしまうこと。これもNT論の欠陥だ。

象徴的な部分は、カミーユとハマーン様が精神感応を起こしたとき、カミーユはハマーン様に母の姿を見て、ハマーン様はシャアを見たんだよね。シャアがララァに母を求めたというのもそうなんだろうけれど、恋愛関係でなければ、母子の関係になるって、男性中心の考え方だ。

ハマーン様が最後に残した言葉が「帰ってきてよかった。強い子に会えて」だけど、ハマーン様は最後に母のようになって死んでいった。でもそれって彼女が望んだことではなくて、母にさせられたんだと思う。

そもそもハマーン様の本質は少女で、母親になることを拒否している人だから。シャアが求めたようなミネバの母親にはなれなかった人だもの。そして、シャアとの傷ついた過去の少女時代を心に抱えてしまった女だから。

でも、まだ子どものジュドーと恋愛関係が成立しない以上、彼女を母親にすることでしか、(製作者側は)二人の関係を成就させられなかった。これじゃハマーン様は救われないよ。

 

皮肉なのが、ジュドーは母親を求めていたわけではないんだよね。彼が求めたのは妹だけ。ハマーン様は彼の庇護対象としての妹には原理上なれたと思うけど、それってグロテスクでしょ。Zのロザミアが年上の妹という強化人間の悲劇を見せているけど、ハマーン様は強化人間ではないから、年上の妹になれば、それは悲劇ではなくて喜劇だ。

 

結局、ハマーン様は今までのNT少女(ララァ、フォウなど)と決定的に違っているのが、彼女はただのパイロットではなくて、高い能力、強い意思と権力を持ち、指導者としての立場があった。だから、か弱いNT少女パイロットとは男との関わり方が決定的に違う。でも、その部分を製作者側が咀嚼できていない。従来のNT男女関係で解釈していくと、うまくいかないのは当然だと思う。

でも、私がハマーン様に心を奪われているのは、彼女の存在そのものが、ダークな魅力を発揮しながらそんなガンダム世界の構造に問題点を突きつけ、抗っているところだと思う。

そもそも富野監督はハマーン様をただの小悪党として描こうとし、CVの榊原さんもハマーン様を危険な存在の女として表現しようと努力されたけど、結果は、お二方の意図とは離れて、ハマーン様は魅力的なダークヒロインと化して多くのファンを獲得してしまった。でも、それは、彼女が生みの親たちにすら抗うことでその魅力を増しているからだと思う。

 

  • 少女から大人の女へ(ZからZZへ)

ハマーン様が人気が出てしまったので、榊原さんがその演じ方を失敗したと思っていらしたのは有名な話だけど、 それは榊原さんの失敗じゃない。

Zでハマーン様が人気が出たのはある意味で必然だと思う。

生意気な小娘がオッサンたちの抗争に割って入り、オッサンどもを翻弄していくのは見ていてとても痛快でしょ。Zのハマーン様の高慢ちきな小娘感は大好き。あのシャアに頭を下げさせているのも愉快でしょ。

Zにおいてハマーン様には迷いがなくて、明快な行動原理があったから、迷走しているシャアやその他のオッサン勢力に対して、強い立場でいられたし、そのおかげで生意気で痛快な小娘でいられた。

でも、ZZにおいては、その立ち位置が一変して、シャングリラの子供たちに対して「大人」という立場に追いやられ、愉快で自分勝手な子供たちから追われる立場になってしまった。オッサンたちを脅かす小娘(Z)から子供たちに脅かされる大人の女(ZZ)へ変わってしまったことは、ZZにおけるハマーン・カーンという女性の描き方を難しくしたと思う。(それは、Zにおけるシャアの描き方の難しさと似ているかも)

 

ハマーン様が大人の女として描かれたことは、その派手な衣装(あれは何事?)とジュドーに対して大人の女として誘惑しようとしたところから明らかなんだけど、Zとのギャップが大きいのは否めないと思う。

好意的に解釈できれば、

ZZにおいてハマーン様は無理をして大人の女としてふるまっている。痛々しい。健気だ。

 

となって、ハマーン様に萌えることができる。

でも、好意的に解釈できなければ、

製作者の都合でキャラクターに一貫性がなくなってしまった。最悪だ。

 となる。

 

このあたりの解釈の違いはハマーン様の少女性をどう捉えるかによりけりかな。

私はハマーン様の本質は少女だと思っているから、Zで見られた彼女の少女性がZZで消えてしまったことをすごく残念に思っている。無理をして大人の女として振る舞っていると好意的に解釈しようとしているけど・・・。一番違和感があるのはジュドーを大人の女として誘惑しようとしたところだな。彼女が少女である所以は、シャアとの少女時代の未熟な初恋を振り切れていないところだから、すさまじく違和感がある。まぁ、そこを「無理しているハマーン様は可愛い」と思えれば、OKなんだけど。

ただ、 Zで見せていた少女っぽい内面は、シャアとの関係性で見えてくるというのもあるから、シャアのいないZZでは少女のような内面を見せられないというのもわかるんだけどね。この点において、ハマーン・カーンというキャラクターはシャアとの関係性に依拠しているから、物語的にシャアのシャドウにしかなりえないのが残念なところ。彼女が最後にシャアとの過去を昇華できていたらね・・・。

でも、私は、大人の女が少女のような内面を抱えていること自体は魅力的だと思うし、ハマーン様がシャアとの記憶を大切に抱えていること自体は彼女の可愛らしいところだと思う。問題は、その少女のような部分が彼女にとって明らかに苦しみを生んでいるところだから、その傷を癒せれば救われたのにね、っていう話。

最後に、アステロイドベルトでの少女時代は、シャアとの関係以外では、本編で描かれていないので、どの程度彼女の傷になっているのかは不明。このあたりを本編でわずかでも描写があればよかったけど、ないものはしょうがないね。暗くて寒い生活だったんだろうけど・・・。