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ぬるい懐古オタクがだらだらと語るだけ。

アニメ版「バナナフィッシュ」

バナナフィッシュのアニメはもう配信が始まっていたのをすっかり忘れていました。

アマゾンプライムで世界同時配信は本当にありがたいです。アマゾンで買い物をすることが多いので、プライムに入っているのですが、好きなアニメが追加料金なしで日本とディレイなく見られるのは単純に嬉しいです。

吉田秋生先生と萩尾望都先生は私が一番影響を受けた少女漫画家さんなのですが、「バナナフィッシュ」はリアルタイムで読んでいて、私にとって特に思い入れのある少女マンガです。(吉田先生で一番好きなのは「桜の園」だけどね)

子どものころから、アニメは兄の影響でロボットアニメばかり見ていましたが(テレビのチャンネル争いで兄に勝てなかった・・・)、マンガは女友達と貸し借りする関係で少女漫画をよく読んでいたかな。兄の読んでいたジャンプも一応読んではいたんですが。

当時、別コミも毎月買っていたし、全プレでテレホンカードだの目覚まし時計だのいろいろ応募した覚えがあります。私の揃えていた単行本は学校で友だちの間で回し読みされていて、途中で一巻紛失されて激怒した覚えがあります。(仕方なく買い直した。)

 

バナナフィッシュには思い入れがたーっぷりあるんですけど、アニメ化のニュースを見たとき、なんで今更?と疑問に思ったものです。吉田先生のマンガは実写化されることが多いけど、バナナフィッシュはアニメの方が向いているのに、当時なんでアニメ化されなかったのかな?と思っていました。児童ポルノとかやばいからですかねぇ・・・。あと、連載中に冷戦が終わったというのも大きかったのかも。

 

で、とりあえず2話まで見ました。

まず、舞台がベトナム戦争からイラク戦争に移っている?!

確か原作では、東西冷戦という大きなバックグラウンドがあって、ベトナム戦争でバナナフィッシュが出回っていたという話だったと思ったんだけど。(実家に原作があるのでうろ覚え)

あと、携帯が出ている!つまり、話の舞台が現代になったということですか?!

 

うーん、ただニューヨークのマンハッタンがやばかったのは、70年代から80年代初頭ぐらいまでだし、現在を舞台にするとそのあたりでリアリティがなくなるよね。

 

 

ま、とりあえず最後まで見てから雑感を上げようと思います。

 

 

ロボットアニメ新作?(ガンダムNTとパトレイバーEZY)

私の夏が終わり、繁忙期が始まりました。書きかけの二次創作が三本あって、夏に終わらせるつもりだったのに、今年の夏はガンダムに再燃してしまったので、全く終わらせられなかったよ。クリスマス休暇中に書けるといいんだけど・・・。でも、今年も仕事が山積みなので、へたすればクリスマス休暇も返上かも、と思うとげんなりします。

 

閑話休題。

 

私がぼんやりしていると、海の向こうからガンダムとパトレイバーの新作の話が聞こえてきました。ネットで情報が瞬時に伝わるのは理屈上ではそうなんですが、実際、物理的に離れていることは心理的に離れていることなので、情報を積極的に掴みにいかないとなかなか乗り遅れてしまいます。(ツイッターでもすればいいんでしょうけど、あの距離感が苦手だし、日本の皆さんが盛り上がっている話題についていけないのが悔しいし、日本に帰りたい病を発症するので、精神衛生上見ないことにしています。)

 

1)パトレイバーEZY

で、まずパトレイバーについて。8月10日がパトの日と制定されたそうで。

おめでたいんだかなんだかわかりませんが。私は記念日に全く興味がない人間なので、まあそれはどうでもいいんですけど、肝心の新作に関しては具体的な内容は全くわからないんですが。パラレルでいくのか、初代特車二課とは同じ時間軸にあるけど、数年後設定なのか、どういう枠組みなんですかねぇ?

私的には全く違うメンバーでやってほしいですね。で、さりげなく、旧特車二課メンバーの消息が漏れ聞こえるっていう感じで。でも、旧特車二課のメンバーが不幸になっているなら、余計な情報はいりません。(押井監督を批判してしているわけではないんですが)

以前のアニメーター見本市の短編はなかなか良かったので、その続きかな?

情報待ちは辛いのう。

 

2)ガンダムNT

まず一言文句言っていい?公式からだと映像が見れないんだけど。トレイラーぐらい海外IPにも公開しろよ。ふざけんな。

で、しょうがないので、youtubeで見ました。

 

カルタみたいな麿眉の娘さんがいる・・・。うーん、あまり好きなキャラデザではないな。

 

何よりも一番衝撃的だったのが、

ミネバ様がジオンの軍服来ているよ・・・。

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はっきり言うとミネバちゃんをジオンの戦争に巻き込んで欲しくなかった。

 

ミネバちゃんに対しては、近所のおばさんのような目で見てしまうのよ。だってさ、赤ん坊のミネバちゃんがソロモンから脱出するのを初めて見たのが、私がまだ小学校1年生くらいの時に、兄と一緒に「めぐりあい宇宙」を見た時。で、それから数年後、Zガンダムでちょっと大きくなったミネバちゃんを見て、ZZで影武者?!と衝撃を受けて。で、20年(?)ぶりくらいにユニコーンでその成長した姿を見て、感激したわけ。あのハマーン様とシャアに教育されたにしては真っ当な女の子に育ったなあとか、ソロモンを脱出した時は赤ん坊だったなあ、とか、この子が原因でハマーン様とシャアが夫婦喧嘩大ゲンカしたんだもんなあ、とか、もう思い入れありまくりで。

 

えーと、福井氏の小説読んでないんですけど、読むべきですかね?

福井氏の小説が原作なら、ミネバちゃんがジオンの軍服着ることになったいきさつだけでもわかるのかな?

なんかガッカリだ。ミネバちゃんにはハマーン様を反面教師にして頂きたかったわ。

 

ま、どうせ私の住んでいる地域では公開されないと思うし、オンラインで見れるようにしてくれればいいけど、無理そうなので、当面お預け状態かね・・・。トレイラーを見なかったことにしておきたい。

 

 

 

 

ガンダムZZ再考 2

前回からの続き。

 

以下は、ガンダムZZの気になった点を洗い出してみました。 

 

 1)構成の悪さ(ギャクパートについて)

悪評高いコミカルな前半は、実は結構好きです。マシュマーの回想シーンでのハマーン様がなんか笑える! 妙に色っぽいというか・・・。マシュマーはハマーン様を理想化して崇拝している割にはエロ目線で見ているのかしら? いや、純情な青年でも男の欲望を持っているのはいいんですけど。もー、ハマーン様を押し倒しちゃえよ、とか無責任なことを妄想しちゃいます。瞬殺されるでしょうけど。

ただし、この前半がうざいというのもわかります。それは、ただ単に、長くてグダグダしすぎだから。こんなに話数かける必要性ないでしょ。ジュドーがエゥーゴで戦う動機がいまいち曖昧なので、もっと早くにリィナをグレミーに誘拐させておけば、それでジュドーが戦う動機付けができたので、前半部分のグダグダっぷりを解消できたのでは?

 

正直、ZZという物語が動き始めたのは、プルとハマーン様が登場した回からなので、これをもっと早くにもってくれば、前半はすっきりしたし、後半の詰め込みすぎも解消できたのにね。

 

ギャクパートと構成の悪さという点でいえば、情勢が押し詰まった後半で、タイガーバウムのネタ回をぶっこんできたのもどうかと思います。

タイガーバウムのエピソードは視聴者へのサービス回って感じで、後半の切羽詰まった中でやることじゃないと思う。女装のジュドーとイーノは可愛いけどさ・・・。ハマーン様が変装してジュドーにわざわざ会いに来るというのも戦局が緊迫した中で、ちょっとありえないよ。変装ハマーン様はめっちゃ美人だし、アッガイの操縦が素晴らしいので、ハマーン様好きな私としてはすごくジレンマだけど。

ただ、タイガーバウムは早めのエピソードなら有りだと思います。

流れとして、ジュドーとハマーン様がモウサで初めて出会って、ハマーン様がジュドーに興味を持ち、変装して潜入する。で、タイガーバウム。それから、地球に降下。これなら後半の流れを止めなくて済んだんじゃないかな。

 

2)ニュータイプ能力の大安売り

ZZを見ていてとても気になったのが、NT能力がすごーく便利に使われていること。なんというか人探しにも使えるよ!って感じ。NTってエスパーじゃないんでしょ?百歩譲って、「子どもはみんなニュータイプ」というZZのモットー(?)を肯定したとしても、このNT能力の大安売りはいただけないな。

初代では後半パートでのスパイスだったニュータイプというコンセプトが、Zでは戦争の道具(強化人間の登場)として、さらに政策の焦点(シロッコやハマーン様というNT政治家の登場)として、大きくフィーチャーされたのですが、このZZではなんだかよくわからない具合に便利な力として使われてしまったのが、私的には不満ですね。まあ、Zで大々的にクローズアップさせすぎたおかげで収拾がつかなくなったのかなと思っていますが。

さらに悪手だったのがムーンムーンのサラサを出すことで、新興宗教の霊能力とNT能力をオーバーラップさせてしまったところもオカルト感をさらに悪化させてなんだかなぁと思いました。(このあたりは、以前のZZハマーン様ポストでも言及していますが。リンクは下に貼っておきます)

 

NT能力と超能力と宗教的霊能力がZZで混在しているのは、ガンダムにおいてNTというコンセプトが行き詰ったことを示していて、これは製作者の問題であり、ZZという作品にとっては不幸だったのかな。

 

あと、ラスボスとしてのハマーン様vsジュドーの因縁を強調するために、二人のNTとしての繋がりを描こうとしているんだけど、正直全く機能していないと思う。これも以前のポストで言ったことだけど、男女のNTは恋愛関係に陥る(特に敵味方でわかれているケース)というお約束は、ジュドーがまだ子どもだから、恋愛関係ともつかない中途半端な関係に・・・。一応ハマーン様は頑張って(無理をして?)誘惑しようとしているんだけど、なんというか微妙だよねぇ。そもそも彼女には男を誘惑できるだけの女としての器用さがないからさ。(でも、そこがハマーン様の可愛いところで大好きなんだけど)

 NTの男女関係とハマーン様については以前のポストに書いておいたので、とりあえず貼っておきます。

banana-snow.hatenablog.com

 

3)戦局の見えなさと軍隊としてのグタグタ

 戦局が見えないのはZガンダムもそうだったんですが、ZZは輪をかけて酷いです。ティターンズが消滅した世界で、エゥーゴが事実上地球連邦と同義になっているはずなんですが、エゥーゴの位置づけもわからないし、アーガマが戦局においてどう動いているのか全く見えてこないです。メッチャーの指揮下にあるのかね?エゥーゴのトップってそもそも誰なのさ?あと、ネェル・アーガマが子どもだけで運用されるっていうのはやっぱり無理があると思うんだけど・・・。せめてブライト艦長だけでもいて欲しかったわ。ビーチャが艦長代理っていうのもありえない。ZZでは「子どもvs大人」が強調されていて、自分勝手な子どもたちが、狡い大人たちを振り回していくというのはテーマとしては悪くないんだけど、なんというかそのせいで無理な展開になっていると思う。勿論ガンダムに現実性を求めているわけではないんだけど、それでもねぇ。

ビーチャとモンドの裏切りうんぬんも鬱陶しいエピソードだったな。だいたい軍隊で敵に寝返ってから戻ってくるってないよなーと思います。いくら子どもとはいえ。というか、こういうのが子供騙し的なエピソードで不評を買う原因になるのでは?

 

軍隊といえば階級なんだけど、ネオジオン側も「様」呼称ばかりで、タイトルは呼ばれないのね。これは、ネオジオンが軍隊組織として体を成していないことの暗喩なのか、それともハマーン様自身も軍のタイトルがないから、それに倣っているの?メタレベルでいえば、ZZという作品が子どもを視聴者のターゲットにしているからわざと省いたとか?

ZZは子どもと可愛い女の子がいっぱい出てくるけど、大人の職業軍人が不在なのがその代償かね。ZZに出てきた大人の男の職業軍人ってラカンとオーギュストくらいかな。オッサン軍人好きな私としては辛いな。そもそもラカンがね・・・。中の人も私の大好きな大林隆介さんで、ハマーン様を裏切りさえしなければ、推し筆頭だったのに! でも、裏切ったから許さない。

 

4)他

細かいことなんだけど、ミネバ・ザビ妃殿下という敬称は間違っています。ミネバ様はお妃ではないので、ミネバ・ザビ公女殿下とすべきです。スタッフの誰も気が付かなかったのかねぇ、当時。でも、ミネバちゃんのお父さんや伯母さんは「閣下」で呼ばれていて(軍人としての肩書があったからね)、「公子殿下」「公女殿下」と呼ばれていたことはなかったと思うんだけどね・・・。

ガンダムシリーズってもともと敬称や肩書がめちゃくちゃで、細かいところを気にしてはいけないとわかっているんだけど、でも、私は気になる!だいたい、シャア大佐じゃなくて、アズナブル大佐とすべきなのに。今更ではありますが。どうして当時誰も指摘しなかったんだろう?

 

 

ところで、ZZこそ再編集して劇場版を作るのにふさわしい作品ではないかと思うんだけど、どうかね?

 

ただ問題は誰が劇場版ZZを作るって話だよね。富野監督はZZに愛情がないから、手を引いて頂きたい。ZZという作品に愛があって、宇宙世紀をよく理解している人といえば・・・。今ならやっぱり福井氏になるのかしら?うーん、それはそれで危険な香りがする。私としてはハマーン様に愛と理解のある人に劇場版ZZを作っていただきたいんだけど、福井氏はハマーン様をどう思っているんだろう?

もし、ハマーン様がジュドーと木星へ駆け落ちエンドなんていう劇場版ZZが作られたら、その監督様には一生忠誠を誓います。

 

 

ガンダムZZ再考 1

この夏、20年ぶりくらいに機動戦士ガンダムZZを見ました。欠点は勿論色々あるけれど、これほど冷遇される意味はわからないし、むしろ再評価されるべきではないでしょうか。

 

私はリアルタイムで見ていたはずなんですが、当時覚えているのはプルと一緒に地球に降下したあたりから。なので、ZZが酷評される一番の原因である前半のギャグパートを当時どう見たのか全く覚えていないんですよね。Zも見ていたはずなんですが、こちらも全く記憶にない。つまり、あの暗いZから突然ギャグに転じたZZへの転換を当時どう感じていたのか全く覚えていないというポンコツっぷりです。(まだ子どもだったんで仕方ないんですけど)

当時の大人な視聴者がこの前半部分で離れてしまったというのはわからないでもないんですが、今の視聴者はリアルタイムではないし、お気楽なZZの前半部分は割合冷静に見られると思います。

 

とりあえず、よかったところを書き出してみよう。

 

1)MSがカッコいい!(ただしネオ・ジオン側の)

ZZは私の好きなモビルスーツが多いんですよね。勿論、MSの好みなんて人それぞれですけど。

宇宙世紀のMSで、クィン・マンサはキュベレイ(白)の次に好きな機体です。かっこいいよね。是非白と紫とピンクで塗りなおして、ハマーン様にも乗っていただきたかったわ。ジュドーを瞬殺しちゃいそうだけど・・・。

バウ、Rジャジャ、ガズLRもかなり好き。私はデコラティブな機体が好きなんだと思う。

キュベレイは勿論ハマーン様の白キュベが一番好きですが、プルのMk-IIもカラーリングが素敵だ。キュベレイ三姉妹は、この3人の関係を暗示している感じでよろしいですな。あと、最後のゲーマルク戦のときに、量産型キュベレイがファンネルのポッドを一斉にパタパタさせるのが、シッポをぱたぱた振っているみたいでかわええ~と不覚にも萌えてしまいました。

ネオジオンに比べて、エゥーゴ側のMSやるきなくね?プラモ売る気あんの?ってところにちょっと怒りが。あと、ZZの合体シーンもカッコ悪い。合体ロボって好みじゃないのよね・・・。

 

2)女の子がみんなかわいい!!!

かわいい女の子(一応ハマーン様も含む)がいっぱい!

妹(リィナ)、妹系ロリ(プル&プルツー)から幼馴染(エル)、先輩(ルー)、おっぱいお姉さん(キャラ)、メガネっ子(ミリィ)、電波系(ラサラ&サラサ)までよりどりみどり。他にもエマリーのような不倫系純情お姉さんや、ラスボス(兼ヒロイン)の怖いお姉さま系ハマーン様まで、よくもまぁこんなに女の子キャラそろえたもんだ。

でも面白いのが、ZZはガンダムシリーズの中では珍しく、きちんと女の子同士の関係を描いているんだよね。エルとルーのいがみ合い(でもなんだかんだ仲がいい)はリアルで、10代の女の子のじゃれあいらしくて微笑ましい。プルとリィナの関係はちょっと切ないな。ZZ放映当時はシャングリラの子供たちもプルも勝手なことばかりして、イライラさせられていたんだけど、それは私が彼らと同年代の子供だったからだと思う。大人になった今は、子どもっぽくてかわいいなぁと愛でていられます。

 

昔は、キャラ・スーンの色ボケぶり(?)が嫌いだったんですが、今はその憎めなさが大好き!洗濯女エピソードはすごく笑いました。ジュドーとキャラの関係は本当に微笑ましいし、最終決戦の時にジュドーがキャラに「死ぬなよ」と声を掛けるシーンが、彼の優しいところが出ていてすごくいいと思います。キャラ姉さんがハマーン様とジュドーの接点になっていれば、もう少しこのNT二人の繋がりがうまく描けたんじゃないかと思う。もっとも、彼女もハマーン様の内面を理解できるだけの聡明さと繊細さを持っていなかったからね・・・。ま、キャラ姉さんのそんなお気楽なところが可愛くていいんだけど。そして、そんな彼女を強化人間にしてしまったハマーン様の追い込まれっぷりが辛いね。

 

ZZの登場人物で白眉なのは、好き嫌いは別にして、文句なしにプルとプルツー。

放映当時、プルツーは好きだったけど、わがままなプルが嫌いでした。でも、今はそのわがままが切なくてかわいい。ジュドーがもっと甘やかしてあげられればよかったんだけど、それは無理だよね。彼も妹のリィナのことで精いっぱいだし、彼自身もまだ子供だもん。「重力下のプル」でプルとプルツーの戦うシーンはガンダムシリーズでも屈指の名バトルだと思う。当時の私もすごく悲しかったな。あと、プルツーが最後に死ぬシーンも。ブリッジの誰も気づいてあげられなかったなんて、辛いね。

ハヤト、プルツー、ラサラ、エマリーあたりは物語の展開上、死なせる必要がなかったと思う・・・。ネオ・ジオン側のキャラもマシュマーも、生きていて欲しかった。

ハマーン様は物語の展開上、死しか残されていないことはわかるけど・・・(涙)。もう少し救いがある最後だったらな・・・。

 ZZのハマーン様に関しては以下のポストで言及しています。

 

banana-snow.hatenablog.com

 

 

ZZという作品はZガンダムで片付けられなかったこと(エゥーゴとアクシズの戦い)を片付けるべき作品だったのですが、問題は途中で逆襲のシャアの企画が始まったので、逆シャアからも逆算しなくちゃならなかったので、色々大変だったと思います。

もともとは、グレミーのポジションがシャアの役割だったと聞きますが、その場合、Zみたいに、ハマーン様・シャア・ジュドーの三つ巴の戦いになっていたんですかねぇ。ジュドーが二人を倒すのか、ハマーン様だけ退場して、シャアは生き残るのか、どっちだったのかな。ハマーン様は最後に、分かり合えたジュドーをかばってシャアに殺されたらいいなと妄想しています。初代のアムロ・シャア・ララァのような三角関係なんだけど、シャアは引導を渡せてホッとできそうだし、シャアに殺されるなら、ある意味ハマーン様も納得できると思う。ただ、シャアは最後まで彼女を理解できないと思うし、ジュドーの方が彼女を理解していて、そんな彼女を理解しようともしなかったシャアに激怒して修正してやる!って感じだとハマーン様も救われるかしら。

 

とまあ、不遇の作品ZZではありますが、福井氏がユニコーンでZZの舞台をかなり使っているので(マリーダさんとか)少しは陽の目を見ている感じです。でも、複雑な気分です。UCに関しては、アニメ版しかまだ見ていなくて、小説は読んでいないのですが。福井氏の小説は∀ガンダムの小説版で私の地雷と化してしまったんです。小説版ではマリーダさんの描写がエグイらしく、かなり躊躇しています。

 

 2に続きます。

 

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Stephen Nomura Schible 「Ryuichi Sakamoto: Coda」 (2017)

Stephen Nomura Schible (スティーブン・ノムラ・シブル)監督の "Ryuichi Sakamoto: Coda" を見てきました。

坂本龍一氏に関するドキュメンタリー映画なのですが、私の心の琴線に触れたようで、胸が一杯になりました。最近仕事で行き詰っていたので、個人的な事情とオーバーラップさせてしまったからなのかもしれませんが。

 

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ポスター

上映した映画館は20人くらいしか入れない、試写室のようなミニシアターでした。あまりの小ささに一緒に見に行った友人と思わず顔を見合わせてぷぷっと噴き出してしまいました。平日の夜で、観客は10人くらい。むしろ10人もこんなマイナーな映画を見に来るのか!と驚きました。

 

以下雑感です。ネタバレありなのでご注意ください。

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ZZのハマーン・カーンについて

また考えが変わるかもしれませんが、ハマーン様について現時点で思うところを以下に記録。

 

  1. ラスボスからヒロインへ
  2. ヒロインの孤独
  3. 少女から大人の女へ(ZからZZへ)

 

  • ラスボスからヒロインへ

ハマーン様はガンダムシリーズにおいて、唯一といってもいい、女性のラスボス。

勿論、Vガンのカテジナさんも、ウッソにとって、また物語的にもラスボスではあるけど、ザンスカール帝国という組織においては所詮一パイロットに過ぎないわけで。

その点、ハマーン様は、主人公が倒すべき敵として、ZZという物語として、そしてネオジオンという組織のトップとして、まさに完璧なラスボス。

女性でありながら圧倒的に強いパイロットであり、敵対組織の強力な指導者でもあるというのはガンダムシリーズで珍しいケースです。どちらか片方ならともかく。

女性のラスボスという点だけでも珍しいのに、ハマーン様はラスボスを2回やっているというのも特筆すべきことかと。

Zにおける三つ巴の戦いの中で、ハマーン様はシロッコとともにカミーユが倒すべき相手だったけど、結局シロッコだけがカミーユに倒され、ハマーン様は生き残った。なので、続編のZZで真のラスボスとして倒されたという経緯です。

 

二回ラスボスを務めたのは、シャアも同様だけど、勿論、シャアという人物は宇宙世紀シリーズの(影の)主人公なのでスペシャルなのは当然。ハマーン様もその点ではまさしく女版シャアともいえる程度には特別な存在かな。

ただ、ガンダムサーガにおいてハマーン様はシャアにはなれなかった。悪い意味でハマーン様はシャアのシャドウといえる存在でしかありえなかったから。(シャアと過去に特別な関係があり、彼になろうとしてなれなかったという意味でもね。)

でも、面白いのは、ZZにおいて彼女の孤独な部分がクローズアップされたことで、単なる悪のラスボスではなく、悲劇のヒロイン感が出てしまったというところですかね。

 

前作のZにおいて、ハマーン様がシャアと男女の関係だったことと、ハマーン様がシャアを諦めきれない部分を見せたことで、訳アリ過去を持つ女という点はすでに語られていたけど、ZZではそこに孤独な女という属性がつき、事実上ZZのヒロインに。

実際、ZZという物語はハマーン様がいなければ成立しない。極端な話、主人公はジュドーじゃなくてもいいし、ビーチャでもモンドでもグレミーでもラカンでもプルツーでも、ハマーン様を討った人がZZの主人公となり、物語は終了。でも、討たれるのはハマーン様じゃなければならない。それはZで生き残ったラスボスが彼女だけだから。当時の大人の事情でいえば、逆シャアの製作が決定し、アムロとシャアの一騎打ちに不要なキャラは全て退場させなければいけない。だから、ハマーン様が討たれて退場するのは既定路線。(ついでにカミーユとジュドーも退場させる。)でも面白いのが、そこで悲劇のヒロイン感満載のラスボスにしてしまったのがZZの後半パートだと思う。スタッフの間でハマーン様に同情が集まっていたのかもね。

 

  • ヒロインの孤独

で、ZZでクローズアップされたハマーン様の抱える問題は、1)指導者としての孤独、2)ニュータイプとしての孤独、3)女としての孤独、の3つが複雑に重なりあっていて、なかなか難しい状況。

 

1)指導者としての孤独

シャアがアクシズを去って、アクシズを一人で背負うことになった時からですかね。ただ、彼女の指導者としての孤独は、アクシズ(ネオ・ジオン)の政治的・軍事的オペレーションにおける孤軍奮闘というのもあるだろうけれど、ニュータイプとして人類の未来に対するビジョンをシェアできる人がいないという部分もあると思う。実際のところ、彼女のビジョンは独善的で選民主義なのでついていける人は少ないと思うけど・・・。実務面だけではなくて、NT能力に基づいた思想面での孤立というのはなかなか埋めがたいものがあるんじゃないかと。ここは、まさしく、シャア一択。(シロッコも可能性はあったけど)

ジュドーではハマーン様の指導者としての孤独を埋められないと思う。彼は元気で明るくていい子なんだけどね。

 

 2)ニュータイプとしての孤独

実際、ニュータイプってどの人もみんな不幸だよね。シャアはニュータイプの成り損ないと言われてたりするけど、まあ一応NTにカウントしたとしても、やっぱり不幸。なので孤独なのはハマーン様だけじゃないんだけど・・・。

彼女にとって不幸だったのは、接触したNTがシャア、カミーユ、シロッコと、どいつもこいつも曲者ばかり。さらに、ここで問題になるのが、NTの男女は恋愛関係に陥ってしまうということ。これは原作者におけるNT論の限界ともいえるけど、ハマーン様にとってはすごく不幸。シャアとは恋愛関係は破綻しているし、シロッコは女を駒として使うタイプで、ハマーン様とは相性が悪い。(ハマーン様は男の駒にならないよね。女王様気質だし。)

問題はカミーユ。彼とは精神感応をしたけど、結果的に殺し合いになってしまった。それは、カミーユとの精神感応では触れられたくない記憶を無理やり暴かれて、ハマーン様にとっては疑似的にレイプされたも同然だから。そもそもNT男女間における精神感応って精神的なセックスだから、勿論、カミーユは意図したわけではないし、彼に罪はないけど、ハマーン様にとっては望まない形で心の中に入り込まれたので、まさしく精神的レイプ。そりゃ激怒するよな。Zでのあのシーンは本当にハマーン様が可哀想で、見るたびに胸が痛む・・・。

ジュドーとは精神感応をしなくてよかったと思う。精神感応が疑似的セックスならジュドーはまだ若すぎるし、彼にも暴かれたら、ハマーン様が可哀想すぎて、救いがなさすぎるもの。 

 

3)女としての孤独

で、前述の通り、NT男女は恋愛関係に陥いるという点を考慮すると、ジュドーは子どもすぎる。ハマーン様がジュドーを篭絡しようとしたのはシャアからの影響かと思うと苦笑いせざるを得ないけど。異性のNTとはとりあえず恋愛関係(肉体関係?)に持ち込むというのは、女たらしのシャアならともかくハマーン様がするのはちょっとハラハラする・・・。だって、ハマーン様自身も大人ぶっているけど、シャアとの未熟な初恋に固執してるあたり、恋愛年齢は15歳くらいでしょ。恋愛に不慣れな少女が子供を誘惑しているようにしか見えない。

ジュドーがせめて17歳くらいで恋愛関係を持てるような年だったら、悪くないチョイスだったと思うんだけど、残念!

一番の問題は、シャアとの関係で受けた少女時代の傷をまだ引きずっていることかな。 ハマーン様がNTじゃない男と恋愛関係を持てればいいんだけどね。NTじゃなくてもいいから、傍にいてくれて支えてくれればOK、という風に彼女が割り切れればいいけど、それはなさそうだな・・・。ネオ・ジオンの女帝で、強力なNTで、気は強いし、ひねくれていて面倒くさいタイプだからね。そりゃ女として孤独に陥るのはわかる。

 

結局、この複雑に絡み合った孤独を一気に解決できそうな相手はシャアしかいないし、そういう点でハマーン様が彼に執着してしまったというのはすごくわかるんだよね。

シロッコも可能性があったとは思うけど、恋愛という面では疑問符がつくし、ジュドーは1)の部分が弱いし、恋愛相手としてはまだ子供。

 

一番手っ取り早いのは、指導者としての孤独を解消するために指導者を降りること。女であることとNTであることは変えられない属性だけど、指導者の立場は変えることができるからね。残っている2)か3)なら割となんとかなるんじゃないだろうか。

ただ、彼女にとってはアクシズ(ネオ・ジオン)の指導者を降りる選択肢は一番ないんだと思う。今更後には引けないだろうし、彼女自身の野心もあるし。結果的に一番犠牲になっているのは、女としての孤独かな。辛いね。

 

ZZはハマーン様の孤独をクローズアップしようとして、それ自体には異議がないんだけど、描き方がまずいと思う。

一番の悪手は、新興宗教の教祖サラサにハマーン様の内面を語らせたこと。これは唐突感が拭えないし、所詮電波女の戯言としか思えない。それと、ニュータイプ能力と宗教的霊能力がここでオーバーラップしたのも拙いと思う。

ハマーン様のモノローグがもう少しあればよかったんだけどね。「塩の湖」の回で、シャアに思いを巡らせながら自分の孤独を吐露している部分があって、あのシーンはすごく好き。こんな感じのモノローグがあと2回くらいあれば十分だったと思う。あとは、誰か第三者の視点で彼女の孤独が描ければよかったんだけどね。プルでそれができればよかったけど、難しいのはわかる。

 

最後に、メタレベルでいえば、ハマーン様の孤独は製作者側の限界を見せていると思う。

まず、男女のNTにおいて、関係性が恋愛関係になってしまうというのは、NT論の限界だと思う。そして、その次は母と子の関係性になってしまうこと。これもNT論の欠陥だ。

象徴的な部分は、カミーユとハマーン様が精神感応を起こしたとき、カミーユはハマーン様に母の姿を見て、ハマーン様はシャアを見たんだよね。シャアがララァに母を求めたというのもそうなんだろうけれど、恋愛関係でなければ、母子の関係になるって、男性中心の考え方だ。

ハマーン様が最後に残した言葉が「帰ってきてよかった。強い子に会えて」だけど、ハマーン様は最後に母のようになって死んでいった。でもそれって彼女が望んだことではなくて、母にさせられたんだと思う。

そもそもハマーン様の本質は少女で、母親になることを拒否している人だから。シャアが求めたようなミネバの母親にはなれなかった人だもの。そして、シャアとの傷ついた過去の少女時代を心に抱えてしまった女だから。

でも、まだ子どものジュドーと恋愛関係が成立しない以上、彼女を母親にすることでしか、(製作者側は)二人の関係を成就させられなかった。これじゃハマーン様は救われないよ。

 

皮肉なのが、ジュドーは母親を求めていたわけではないんだよね。彼が求めたのは妹だけ。ハマーン様は彼の庇護対象としての妹には原理上なれたと思うけど、それってグロテスクでしょ。Zのロザミアが年上の妹という強化人間の悲劇を見せているけど、ハマーン様は強化人間ではないから、年上の妹になれば、それは悲劇ではなくて喜劇だ。

 

結局、ハマーン様は今までのNT少女(ララァ、フォウなど)と決定的に違っているのが、彼女はただのパイロットではなくて、高い能力、強い意思と権力を持ち、指導者としての立場があった。だから、か弱いNT少女パイロットとは男との関わり方が決定的に違う。でも、その部分を製作者側が咀嚼できていない。従来のNT男女関係で解釈していくと、うまくいかないのは当然だと思う。

でも、私がハマーン様に心を奪われているのは、彼女の存在そのものが、ダークな魅力を発揮しながらそんなガンダム世界の構造に問題点を突きつけ、抗っているところだと思う。

そもそも富野監督はハマーン様をただの小悪党として描こうとし、CVの榊原さんもハマーン様を危険な存在の女として表現しようと努力されたけど、結果は、お二方の意図とは離れて、ハマーン様は魅力的なダークヒロインと化して多くのファンを獲得してしまった。でも、それは、彼女が生みの親たちにすら抗うことでその魅力を増しているからだと思う。

 

  • 少女から大人の女へ(ZからZZへ)

ハマーン様が人気が出てしまったので、榊原さんがその演じ方を失敗したと思っていらしたのは有名な話だけど、 それは榊原さんの失敗じゃない。

Zでハマーン様が人気が出たのはある意味で必然だと思う。

生意気な小娘がオッサンたちの抗争に割って入り、オッサンどもを翻弄していくのは見ていてとても痛快でしょ。Zのハマーン様の高慢ちきな小娘感は大好き。あのシャアに頭を下げさせているのも愉快でしょ。

Zにおいてハマーン様には迷いがなくて、明快な行動原理があったから、迷走しているシャアやその他のオッサン勢力に対して、強い立場でいられたし、そのおかげで生意気で痛快な小娘でいられた。

でも、ZZにおいては、その立ち位置が一変して、シャングリラの子供たちに対して「大人」という立場に追いやられ、愉快で自分勝手な子供たちから追われる立場になってしまった。オッサンたちを脅かす小娘(Z)から子供たちに脅かされる大人の女(ZZ)へ変わってしまったことは、ZZにおけるハマーン・カーンという女性の描き方を難しくしたと思う。(それは、Zにおけるシャアの描き方の難しさと似ているかも)

 

ハマーン様が大人の女として描かれたことは、その派手な衣装(あれは何事?)とジュドーに対して大人の女として誘惑しようとしたところから明らかなんだけど、Zとのギャップが大きいのは否めないと思う。

好意的に解釈できれば、

ZZにおいてハマーン様は無理をして大人の女としてふるまっている。痛々しい。健気だ。

 

となって、ハマーン様に萌えることができる。

でも、好意的に解釈できなければ、

製作者の都合でキャラクターに一貫性がなくなってしまった。最悪だ。

 となる。

 

このあたりの解釈の違いはハマーン様の少女性をどう捉えるかによりけりかな。

私はハマーン様の本質は少女だと思っているから、Zで見られた彼女の少女性がZZで消えてしまったことをすごく残念に思っている。無理をして大人の女として振る舞っていると好意的に解釈しようとしているけど・・・。一番違和感があるのはジュドーを大人の女として誘惑しようとしたところだな。彼女が少女である所以は、シャアとの少女時代の未熟な初恋を振り切れていないところだから、すさまじく違和感がある。まぁ、そこを「無理しているハマーン様は可愛い」と思えれば、OKなんだけど。

ただ、 Zで見せていた少女っぽい内面は、シャアとの関係性で見えてくるというのもあるから、シャアのいないZZでは少女のような内面を見せられないというのもわかるんだけどね。この点において、ハマーン・カーンというキャラクターはシャアとの関係性に依拠しているから、物語的にシャアのシャドウにしかなりえないのが残念なところ。彼女が最後にシャアとの過去を昇華できていたらね・・・。

でも、私は、大人の女が少女のような内面を抱えていること自体は魅力的だと思うし、ハマーン様がシャアとの記憶を大切に抱えていること自体は彼女の可愛らしいところだと思う。問題は、その少女のような部分が彼女にとって明らかに苦しみを生んでいるところだから、その傷を癒せれば救われたのにね、っていう話。

最後に、アステロイドベルトでの少女時代は、シャアとの関係以外では、本編で描かれていないので、どの程度彼女の傷になっているのかは不明。このあたりを本編でわずかでも描写があればよかったけど、ないものはしょうがないね。暗くて寒い生活だったんだろうけど・・・。

 

 

 

 

 

男性監督と榊原良子さま

ようやく私の脳内におけるハマーン様占拠率が95%くらいから70%くらいに下がりました。日常生活に支障を来たしていたので、とりあえずよかった。あと50%くらいにまで落とさないと仕事にならないので、もう少し妄想を吐き出さないと。

 

以下、ハマーン様に罵られそうな俗物ネタなので、ご容赦を。(ハマーン様には土下座)

 

ネットの海をさまよっていると面白い話を見かけました。

富野監督曰く「ハマーンは処女」。

一方で、ハマーン様のCV榊原さんはハマーンはシャアと寝ていたと思って演じていらした。

 

この説は出典が不明なのですが、ネットでまことしやかに語られています。

真剣に出典が知りたい。このポストをご覧の方で出典をご存知の方がいらしたらこっそり教えてください。

 

これって面白いなあと思います。私も榊原さんと同様で、ハマーン様はシャアと寝たからこその執着だと思うのですが。寝ていない男にあそこまで執着する女はいないよ~と女の立場からは思います。

ハマーン様の初めての男がシャアだった。で、あれほど執着するというのならとてもわかる話です。

私の感覚としては:

初めての男に執着する(→わかる:過去の男が上書き消去されないタイプ)

初めての男に執着しない(→わかる:過去の男が上書き消去されるタイプ)

寝ていない過去の男に執着する(→ええ?なんで?)

寝ていない過去の男に執着しない(→そりゃそうだ)

 

富野監督は、何を以てしてハマーン様がシャアに執着していると考えているのか・・・。まさかただの粘着質なストーカー?(まあそれも正解なんだろうけど)

 

まあ、ハマーン様がシャアと寝ていなければ、間違いなく処女だろうから、それはそれで二次創作的には楽しく妄想できるのでいいんですけど。(結局はそこかい!と自分で突っ込みを入れるところ)

 

 

榊原さんに関しては、劇場版パトレイバー2の南雲隊長をめぐって、押井監督と喧嘩したというお話がすごく好きです。榊原さんにしてみれば、南雲しのぶという女性がああいう理詰めなセリフ(最後の柘植とのやり取りですね)を吐くことはないと感じていらしたというのは、すごく共感できる話です。で、あの押井監督にはっきりと自分の意見を仰ったというのは本当に素敵。勿論、榊原さんほどの力量がある方で、押井監督もそれを認めていらっしゃるという関係だからこそと思いますが。(ぽっと出の若手なら監督に逆らうことなんてできないので)

そして、しのぶさんのセリフに納得がいかなくても、ちゃんと形にしてみせた榊原さんは素晴らしいです。(柘植とのやり取りのしのぶさんは切ない…)