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ぬるい懐古オタクがだらだらと語るだけ。クシャナ殿下と南雲隊長とハマーン様に愛が偏っています。

悪役の矜持(進撃とガンダムと)

まだ進撃の最終話にモヤモヤしています。前回のエントリーで、単行本で加筆修正してほしいと言いましたが、しなくていいです。あのエレン犠牲強調エンドでそのまま単行本にして、アニメもそのまま作ってほしいです。貧乏くじをひいたMAPPAさんはお気の毒だと思うけど。そして、北米マーケットでどう炎上するのか見てみたい。(←性格悪いのは百も承知)

 

にしても、私はそもそもダークヒーロー・ヒロインや悪役が好きなんですよ。何しろ、ガンダムではジオン贔屓で、コロニー落としを遂行したハマーンをこよなく愛して、生存ifの二次創作までやっちゃうくらいだし、コードギアスのアニメ自体は全然好きじゃなかったけど、ルルーシュは割合好きだったんですよね。(というか、あのアニメでは他に好きになれるキャラが全くいなくて、消去法の結果、ルルーシュ視点で見ていたって感じですが)

で、そんな私が、ダークヒーローと化したエレンにこれっぽっちも同情できなかった理由をつらつら考えてみました。いや、最終話前までは少し同情していたし、救われて欲しいなあとも思っていたのよ。でも、完結した今、エレンの中途半端さに同情心の欠片も失せました。むしろフロックの株が急上昇中。

以下、私の非常に個人的な悪役評価ポイント。

 

1.信念を最後まで貫き、潔い。(なので自らの行為には誇りを持ち、責任を取る)

 2.孤独であり、理解されることがない。そしてその不幸をひけらかさない。(ただ、モノローグで己の孤独を呟いたり、唯一無二のライバルに最後にそっと吐露するとか、そういうのはOK。)

 

エレンは自分の信念や行動原理がブレブレなんですよね。(作者様がブレブレともいうけど)仲間のためとか言いながらも、「なんだかわからないけどどうしてもやりたかった」とも言っていて、本当は何が目的だったの? 仲間のためとか言いながら、自らの抑えきれない衝動があって、それで人類の8割を虐殺した。なら、仲間のためなんて言い訳だ。しかも、自分が仲間を守るために仕方なくやったんだという言い訳をご丁寧に仲間の一人一人に遺言のようにメッセージを残しておいたなんて、未練がましくてみっともない。で、案の定、104期の仲間はエレンにほだされて、「エレン、ごめんなさい、ありがとう」なんだもの。仲間には悪く思ってもらいたくなかったんだね。

彼はそもそも孤独ではないし、自ら望んで、破滅へと進んでいった。未来視できるのがわかったころ、せめてアルミンくらいには相談すればいいのにと思っていたけど、自ら話し合いするという選択肢を選ばなかった。それを選んだら、地ならしまで到達できないからね。(何しろすべてが、未来視できて過去介入できるエレンの選択の結果だ。)

ただ、思うに、19歳エレンが人気が出たのは、そのクールでヒールなところだったと思うんですよ。悪くいえば、ハンジが煽ったように、まさしく中二病なところ。

で、ここからがif。

最後までエレンが意図を明かさず、駄々っ子のように本音も言わず、クールな悪役として死に、その意図は誰にも理解されない。(104期の仲間ですら、彼の意図は知らない)で、彼はひたすら罵倒され、忘れ去られ、彼の虐殺の恩恵を受けたパラディ島の人は彼が手を汚したことを知らずに、島の繁栄を享受する。

 

とかいうエンディングだったら、私はある意味で、悪役エレンのポイントアップ。それは、パラディ島の人々が、虐殺行為の恩恵を受けた平和だということに気づかず、104期の仲間たちも、彼らを守るためにわざとその手を汚したのがエレンだと気づいていないから。(ただ、現行の最終話において、パラディ島の人々も104期も、8割の人類の犠牲を無視しているから結果的に同じことではあるけれど。)

ただ、このようにクールな悪役としてのエレンを貫いた場合、

劇中ではエレンは否定されるけど、読者(特にイエーガー派読者)の間でエレンが神格化される可能性がある。

なので、エレンの子どもっぽい、みっともないところを出して、エレンの神格化を防ごうとした、というのが、作者様と編集部の狙いではないかな、と。

19歳エレンのカリスマを否定するのは、正しいと思います。

「逆襲のシャア」で、富野監督がシャアをみっともなく描いたのと同じで、私はその点をとても評価しています。

ただ、私の悪役好きポイントとしては、評価ダウン。ブレブレなエレンになんら同情しないし、逆シャアのみっともないシャアは嫌い。

 

私個人の思想とは全く相いれないけど、フロックは潔かったし、信念を貫いたので好きだ。彼は、エルヴィンの愚かな特攻作戦の被害者で、エルヴィン(&調査兵団)に使い捨ての駒にされたけど、その境遇から立ち上がり、リーダーシップを身に着け、今度はエレンを利用して、使い捨てされる立場から使い捨てする立場へとのし上がった。仲間を扇動し、上司を切り捨て、最後まで戦った。可哀そうだったのが、彼はエレンを利用していて、エレンも彼を利用していたけど、エレンの大切な仲間リストには入っていなかったから、やっぱり最後は見殺しにされてしまった。皮肉なのが、彼を看取ったのが、彼が反目した元上官のハンジで、ハンジはそれでも彼を否定しなかった。ハンジもエレンに見殺しにされたのは間違いないだろうから、フロックとおなじだね。

この二人が同じ回で死亡したのは、ハンジはエルヴィン時代の調査兵団のポジティブな象徴で、フロックがネガティブな象徴ということで、コインの裏表のようだから、同時退場ってことですか。でも、モブの雑魚キャラからここまでよくのし上がったと思う。敵ながらあっぱれという感じです。

(こういうキャラの立て方は本当に諌山先生上手なんだよな。だから、進撃は倫理的に危うくてもつい魅かれてしまう)

 

で、ここから逆シャアの話。

進撃の最終話で一番うんざりしたのが、エレンが104期の仲間たちからヨシヨシされたところ。人類虐殺をやっておきながら、エレンの死を犠牲と捉えて、エレンにごめんなさい&ありがとう、なんて生ぬるいわ。犠牲になったのは、地ならしで死んだ数億人の無抵抗の一般人でしょ。

どうやら、私は、悪役がお仲間に生ぬるくヨシヨシされるのが全くダメなようです。

そして、ようやく気付いたのは、なぜ私が逆シャアのエンディングにずーっとモヤモヤしていたのか、という点。

あのエンディングで、アクシズが地球に落下するのを防げたのはよかったんだけど、シャアの尻ぬぐいを男たちがしょうがないなーという感じで、協力して防いで、全員シャアと心中エンドというのが嫌いなんだわ。

あのアクシズ落下阻止シーンは確かに名シーンなんだけど、私としては、シャアをアムロがきっちり殺して、そのあとみんなでアクシズ落下を阻止というなら、納得したんだよね。シャアとアムロと仲間たちがみんなで力を合わせているように見えて、初見の時はすごく怒ったんだ。

その時の私が思ったことは「ZZでハマーンはシャアと同じことを考えて、同じことをやったのに、ハマーンは一人寂しく死んだ。なのに、なんでシャアはみんなと一緒に死んだの?」

初見当時は、まだ思春期の女の子だったから、シャアのみっともなさが受け入れられなかったけど、今は受け入れられているよ。(まあシャアに愛憎があるのは相変わらずだけど。)

当時はホモソーシャルという考えなんて知らなかったけど、私が逆シャアのエンディングに不満だったのは、シャアがまさしく男同士の絆で甘やかされたというところかな。その点が、ZZが終わったばかりで、ハマーンの孤独な死を悲しんでいた少女時代の私にはきつかったんだと思う。

ただ、ZZの最後で、もしハマーンがジュドーを道連れに死んでいたら、私は彼女をここまで好きじゃなかったと思う。彼女も信念を貫いて、潔く一人で死ぬことを選んだから、私は彼女が今でも好きだし、その意地と孤独を傷んでいる。

 

さらに言えば、 富野監督やCVの榊原良子さんがハマーンのことを否定的に語ってくれるおかげで倫理面が担保され、私は安心して二次創作したり、ハマーン様バンザイなんて呑気なことを言っていられるというのが今回よくわかりました。もし、富野監督がコロニー落としで人類粛清を正当化されるようなことがあれば、私は呑気にハマーン様ラブな妄想なんてできないもの。

もっとも、富野監督はシャアを甘やかしているとは思うけど…。

ところで、私はハマーンに肩入れしているから、彼女がシャアに愛憎があるように、私も彼に対して愛憎を持つようになったのか、それともそもそもシャアに愛憎があるから、ハマーンに肩入れするようになったのか、どっちなんだろう……。

 

ああ、あと地ならしとコロニー落としについて書きたいんだけど、時間がないので、次回のエントリーに。(いや、進撃のネタはもうそろそろ終わりにしますので。ガンダムに復帰したい)