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ぬるい懐古オタクがだらだらと語るだけ。

物語装置としての虐殺 (地ならしとコロニー落とし)

引き続き自分用メモ。どうしても今、書き残しておきたい!(あとで思考を振り返るのに便利だから)

 

今までコロニー落としやxxxインパクトなどという人類虐殺ネタを散々消費してきた私が、今回なぜ進撃での虐殺を看過できなかったのかずっと考えています。

結局、虐殺を物語の装置として見る、つまり、その背後にある無数の虐殺された人々を見ないことにするには、ある一定の条件が必要だとわかりました。で、その条件がなければ、私は虐殺を物語装置として見れなくなるというのがわかったのは成果かな。

勿論、今までこの手の虐殺をお約束として消費してきた自分に対しての反省でもあります。

 

比較的訓練されたオタクである私ですら、進撃の虐殺を舞台装置として看過できなかったので、そりゃあ、慣れていない海外読者なら、なおさら拒否反応がでるよな。

 

今のところ判明した条件は三点:

  1. 虐殺が歴史的背景
  2. 虐殺被害の詳細が描かれない
  3. 虐殺が現実世界と繋がっていない(歴史・社会的に繋がらない)

 

 

  1. 虐殺が歴史的背景

ファーストガンダムの冒頭で、連邦とジオン公国の独立戦争で総人口の半数を失ったという、かの有名なナレーションがありますが、コロニー落としの映像があるんですよね。これは勿論虐殺ですが、あくまでも歴史的背景であり、物語のスタート地点なので、単なる背景と見なせるかな。

なので、進撃の最終話も、エレンが死んでユミルが成仏した段階で話を一旦締め、200年後くらいの世界に話が飛んだのなら、地ならしを歴史的背景とできる(つまり虐殺された被害者のことを描かなくても見逃せる)から、まだ受け入れられたかもしれない。3年後なんて歴史的背景となるにはまだ早すぎるよ。被害者とその関係者が生存している間は、歴史的背景になんてならない。

 

2. 虐殺被害の詳細が描かれない

宇宙世紀でコロニー落としが一番細かく描かれていたのは、ZZでダブリンにコロニーが落ちたときかな。ハヤトが戦死したり、カミーユが苦しんだりと、コロニー落としをめぐる攻防は結構細かく描かれていたんだけど、民間人の虐殺が詳細に描かれたわけじゃないんですよね。コロニーが落ちて爆発が起き、建物が壊れるくらいの描写です。一般人が爆発に巻き込まれて体が千切れるとか、その手の描写は全くないですね。

 旧劇のエヴァも確か人類がLCLのスープになったよね。あれも人類虐殺エンドだけど、具体的な虐殺描写(人が液状化になる過程)はなかったからねぇ。そこらへんは美しい映像で詳細を覆い隠すのがセカイ系たるゆえんだ。

 

結局、虐殺の被害者の詳細が描かれないと、虐殺の背後にある無辜の人々の死を見すごすことができる。描かれていないものはないものと見なせるので。まあ、それもどうかと思うけど…。ただ、道徳の教科書ではないので、物語装置として虐殺を使うこと自体に反対しているわけではないんです。被害の詳細がなければ、とりあえず「悪いことをした」という認識だけで済みます。

進撃の場合、物語装置になりえないのは、グロテスクなまでに人が踏みつぶされるシーンを描いてしまっているから。131話でラムジーたちを残酷に踏みつぶすシーンをあそこまで執拗に描いておいて、ただの物語装置なんて思えるわけないでしょ。

ところであのシーンで子どもエレンが「自由だ」とキャッキャしているシーンが対比として描かれているのはすごいよね…。あの回はエレンが「壁の外に人がいてがっかりした」っていう本音を話して、私はある意味納得したんです。だって、あのエレンがパラディ島のためなんていう美しく仲間思いの理由だけでこんなことするのかねぇと疑問だったので。なんというか、利己的な欲望がここで見えてきて、ある意味、エレンも人間だと思えて、ちょっとほっとして嬉しかったよ。(それまで彼の心理が全く見えてこなかったら、ここで見えてきたと思えた。)ただ、子ども姿だから、今は、「子どものしたことだから免責だ」と言い逃れるつもりじゃないかと疑っています。(正直、作者様の倫理を全く信用できなくなったので、何を見ても疑心暗鬼。)

ただのモブではなく、ラムジーという名前のある子どもをわざわざゲストキャラのように登場させ、残酷に死ぬシーンを見せられれば、そりゃ、地ならしを舞台装置になんか思えないでしょ。かといって、このシーンこそが作者様の描きたかったシーンなはずだから、省略はしたくないんでしょう。なら、最終話で地ならしの顛末を描き、責任を取らせることで、作者としても責任を取らなきゃ。中途半端に済ませるなよ。

さらに言えば、辛いからあんまり思い出したくないけど、もう一人名前のあるキャラで地ならしの被害者がいる…。ただ、ハンジは戦闘要員で、自分から超大型巨人に戦いを挑んで、燃え尽きて踏み殺されたから、ラムジーや他の虐殺被害者とは違って、何も知らずに踏み殺されたわけではないけど、それでも、地ならしの被害者の一人だといえる。その死に関して、私は、最初、せめて綺麗に死なせてくれてありがとうと思ったんですよね。

 

でも、今は、ハンジの死もラムジー同様に残酷にリアリティを以って、踏みつぶされる様を描くべきだったと思います。勿論、ハンジさんがそんな残酷に描かれることを考えるだけで胸が潰れそうに痛むけど、その死を美化して虐殺の残酷さを誤魔化すべきではなかった。作者様がそうやって綺麗に誤魔化したのは、ハンジに少しなりとも思い入れがあったからなのか、ファンの反発を恐れたのか、キャラクターグッズの売り上げを気にしたのか、しらないけど。

[2023年3月 追記:アニメのFS最終編1を見ました。正直に言うと、これ以上ハンジの死を残酷に描かれるのは耐えられないです。特にアニメでは音と色と動きがつくので、苦しさが白黒の漫画以上でした。マントが炎に包まれて墜落するシーンあたりは辛くて見てられなかったです。地ならしの残酷さを誤魔化すな、と思います。でも、その死をキレイに誤魔化さなければ、ハンジの尊厳を守れないわけで。人間が巨大ロボットのような壁の巨人たちに虫けらのように踏み潰されるのを全世界の視聴者(未成年も含む)が見ることの影響を考えています。実際、"Let's go, genocide!"などとはしゃいでいる若い子たちのコメントを見かけて憂鬱です…]

 

メインキャラの一人(しかも割と人気キャラ)を地ならしで死なせた以上、舞台装置にはなりえないな。アルミンに役割を継がせるためにハンジを退場させる必要があるなら、その前に、フロックと一騎打ちさせて二人退場という形にもできたと思うけど。それに、ただアルミンに役割を譲るだけなら、死亡じゃなくて重傷で戦線離脱でもよかったわけで。結局、今になって思うに、ハンジの死は地ならし(虐殺)に反対したから、その罰として虐殺されたのでしょう。

(ハンジさんの死を考えると私のソウルジェムが濁るので、正直あまり考えたくない…)

 

ハンジを無能な理想論者として描き、虐殺反対者が無能だから、「仕方なく」虐殺を行ったという描かれ方が非常に不愉快です。それは、虐殺を「どうしてもやりたかった」作者様の欲望(そして、不憫にもそれを仮託されたエレンの欲望)を誤魔化し、反対論者にその責任を擦り付ける様は卑怯だな。ただ単にやりたかったんでしょ? それを相手のせいにして、「仕方がない」から虐殺を行ったという風にみせかけるのは、世界的にこれだけ売れている漫画の在り方として非常に問題があると言いたい。

 

以前、マーレの体制が描かれていないから、話し合いや反撃の手段が見えないし、地ならししか方法がないように描かれているのはおかしいとエントリーで書いた覚えがあるんだけど。

 

banana-snow.hatenablog.com

 

地ならしを「どうしてもやりたかった」作者様&そのエゴであるエレンが

A)世界連合(これもよくわからない。世界連合って具体的に何よ?)に虐殺される

もしくは

B)世界を虐殺する

のどちらかしか方法がなくて、第三、第四、第五…の方法がないように見せているのはそりゃそうでしょう。だって、やりたいんだもの。始祖の力を手にしたエレンは地ならし以外の選択肢を選ばないし、メタ的に作者様もそれを描かない。だから、選択肢が他にないんじゃなくて、ないように見せているだけ。そして、虐殺するのも虐殺されるのも否定し、他の選択肢を選ぼうとするハンジを無能に見せ、虐殺で殺すのは見せしめかな? 

虐殺をしたいからやるのが本当なのに、「仕方なく」やるという風に見せかけるのは、言い訳がましくてみっともないし、その意図を誤魔化すのは不誠実で卑怯だ。

 

おかげで、虐殺を必要悪として正当化している読者をそこらじゅうで見かけるし。

そもそも、戦闘員を作戦行動中に殺す行為と、無抵抗な民間人をターゲットに大量に殺す虐殺を区別すらできていない読者がたくさんいるのに、こんな描き方をしたら、現実で何か起きても、言い逃れできないと思う。

 

3. 虐殺が現実世界と繋がっていない(歴史・社会的に繋がらない)

 

現在一番懸念しているのがこの点かな。

ガンダムの場合、地球の地理はそのまま使い、民族は名前にその由来を残している程度で(例えば、ミライさんは日系の名前)、宇宙世紀というはるか遠い未来だから、現実の歴史とつながっているわけではない。私たちの子孫がはるか先に宇宙へ移民するような時代になれば、起こり得るかもしれないけど、あくまでも未来だから、今の私たちの社会が架空の将来につながるかもしれないというだけで、現実の私たちとべったり地続きではない。

 

進撃の場合、海に出るまでは、近世ヨーロッパ風の社会&風俗描写で、ファンタジーにありがちな設定なので、特に現実の歴史とつながっている感じはあんまりしない。人物の名前がドイツ風なので、ドイツっぽいというくらいで。

 

問題は、海以降、エルディア人の描き方が、ユダヤ人の被差別の歴史を強く思い起こさせるという点。差別される民族、腕章(←私としてはこれが一番アウトだな…)にゲットー。それから、名誉マーレ人というシステムもナチスによる名誉アーリア人を思い出させる。エルディア人をユダヤ人の苦難の歴史になぞらえているのは言い逃れができない。(私が編集だったら、腕章と名誉マーレ人の描写は少なくとも止めさせると思う。問題点が多すぎるし、それがなくても物語として成立するでしょ?)

「エルディア人(仮想ユダヤ人)が差別に耐えかね、反逆して、人類の8割を虐殺しました。そして殺戮者に感謝しています」なんていう話を聞いたら、当のユダヤ人はどう思うんだろうか…。ホロコーストを経験した人たちを虐殺の当事者にするのは、あまりにも無神経だよ。正直、アンチセミティズムと解釈されても驚かない。

ただ、もしアンチセミティズムの作品だと判断されたら、北米市場からは抹殺される……。表現の自由を重んじる私としては、それだけは避けて欲しいところ。少なくとも腕章と名誉マーレ人の設定を削っていれば、言い逃れはできそうだけど、うーん…。ただ、これは、作者様よりは編集の怠慢だと思う。講談社も進撃で儲けているんだから、サポートチームを作って、どこまでが許容範囲がリサーチさせるべきだった。人種差別や虐殺という繊細な問題を扱うのだから、クリエイターと作品を守るためにポリコレの許容ラインをきっちりリサーチさせるべきだったよ。

アンチセミティズムとまではいかなくても、cultural appropriationとして批判されるのは十分ありえるよ。結局、ユダヤ人の苦難の歴史を都合よく使ってお金儲けをしているという風に見えるもの。

cultural appropriationの批判を避けるなら、日本が舞台でもよかったのかも、と思ったりもします。コードギアスのように日本が植民地になって、仮想大英帝国のブリタニアに支配されるなんていう設定もどうかと思うけど、まあよそ様の被差別の歴史を都合よく拝借したわけじゃないからねぇ。

 

 アニメのシーズン3を見終わったときに、差別される人種が出てきたときに、すごく心配したんだよね。(その時の初見感想エントリー。今になって読めば、初々しい視聴者だったなぁ。はあ。)

 

banana-snow.hatenablog.com

 

なんかもう色々言いたいことだらけだわ。

あと、ナウシカと進撃について書いておきたい。(まだ、あるのかよ!とセルフツッコミを入れておこう)