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ぬるい懐古オタクがだらだらと語るだけ。

戦時下で進撃FSを見ること

今の情勢で進撃のアニメ(ファイナルシーズン)を見ることがすごく苦しいです。だんだん終わりが近づいてきて、ますます辛い。以下とりとめのない感想(愚痴?)が続きますので、苦手な方はスルーしてください。

 

21世紀のこの時代、こんな古典的な国家間による侵略戦争が起こるとは思わなくて、その点もすごくショックなんですよね。20世紀の帝国主義全盛時代じゃあるまいし。勿論、21世紀になっても、武力紛争、内戦、テロは世界中で頻発しているけど、こんなに露骨な侵略戦争が起きるとは……。

ちょうど先週、84話「終末の夜」で、ハンジの「虐殺はダメだ。これを肯定する理由があってたまるか」というシーンが放送されたんですが、以前はこのセリフが冷笑されたり批判されていたんですよね。さすがにこの状況で、虐殺否定を嘲笑する反応は減ったみたいです。でも、逆に言えば、こうやって連日ウクライナの人々が戦争で無差別に殺されているのを報道などで見ないかぎり、虐殺を否定しない人たちがたくさんいるということなのか……。そんな現実に本当にがっかりします。

で、アニメも結局あの最終回に落ち着くのかなぁ。というか、むしろ原作よりもエレン君の悲劇度をアップして思いっきり寄り添うエンドになりそう。あのED曲を聞く限り、仲間のために虐殺し、自らを犠牲にした悲劇のヒーローに収めそうな気配を感じて、今からげんなりしています。ED映像は好きなんだけど、歌詞が耐えられない。正直エンディングは飛ばして見ています。

最終話でエレン君が子どもみたいに駄々こねて自らの制御できない破壊欲をアルミンに告白するシーンがなければ、ただの仲間思いの悲劇のダークヒーローになる。そうさせなかったのは、諌山先生の良心(?)かと思ったりもしたんだけど、それも違うかも。いや、作者様に良心がないとは言っていません。キャラに憑依して描くタイプの作家さんだと思うので、サシャのお父さんや、改心したマガト、最後にかっこよく活躍するキース、虐殺を明確に否定したハンジとか、こういう大人たちの描き方に作者さんが自らの良心を憑依させていると思うんですよね。でも、最終的に自らのエゴを憑依させたのがエレンで、破壊欲望のあるエレン(≒自分)を認めて欲しいという欲望が勝ったのかなと思います。最後の部分で、自らの承認欲望をコントロールできなくて、客観的に描けなかったのは本当に惜しい。

憑依タイプだからこそ、あれだけエモな物語が描けたと言えますが、最後でそれが裏目に出たような気がする。行為と人物を分けることができなかったのは憑依タイプゆえなのだろうか。

虐殺という行為とエレンというキャラをきっちり分けて、虐殺行為を明確に否定した上で、エレンの心情に寄り添うという最終話なら私も納得したかもしれないし、エレンに同情したかもしれない。でも、現状では虐殺否定が圧倒的に足りていないと思う。(例えば、獣の巨人が楽しそうに石を投げながら「戦争って駄目だ」と言ったところで戦争の否定にはならんでしょ)

なので、

  • アルミンがエレンに対してはっきりとエレンの行った虐殺を否定する。
  • 他の104期生たちも虐殺にショックを受けるなど、なんらかの否定的なリアクションを加える。
  • 地ならしを生き残った被害者(モブでOK)にエレンを弾劾させる。(これで第三者視点から物語としてメッセージを出す)

最低でもこれくらいをやらないと、地ならしの否定にならんよなぁ。

虐殺を否定した上で104期生たちが個人的にエレンのことを大切に思いだすという描写なら、まだ納得できたかな。現状だと、虐殺行為は無視されて、仲間のために死んだ犠牲のみが強調されているからねぇ。

人物と行為を分けることによって、どちらの側にも正義があるという主題もやっと有効になると思うよ。個人的には、エレンにはエレンの正義(大切な104期の仲間を守る)があるというのはよくわかるし、各人にそれぞれ正義があるのは当然だと思う。ただ、虐殺という行為は絶対悪であるとしなければ、人間社会が成り立たない。結局、立場が変われば正義と悪が逆転し、絶対悪もなければ絶対正義もないというのは、人物(キャラ)にのみ有効な考えだと思う。行為に関しては、虐殺が絶対悪でなく、正義にもなりうると表現するのは倫理に触れるからアウトだ。キャラと行為を分けないから、こんな問題が起きる。

 

あと、もう一点私が納得いっていないのが、エレンのもつ破壊欲望が生得的だとみなされている点。ミカサを人さらいから助けたシーンは、確かに過激ではあるけど、正当防衛のギリギリ範疇だと個人的に思う。執着心の強さや衝動性は、若いし、熱血主人公だよね、ぐらいの感覚だったので、それが、人類虐殺を引き起こすまでの異常性にはどうしてもつながらないと思った。海に出るまでのエレンは、あくまでも「ちょっと過激だけど、普通の熱血少年主人公」にしか見えなかった。だから、エレンのキャラに一貫性が感じられない。(まあ、そういうと、マーレ編のキャラは多かれ少なかれ、パラディ島編からの一貫性を欠いているんだけど)

始祖ユミルにコントロールされていたから、のほうがまだ理解できる。もしくは、ナゾの地球外生命体の光るムカデがエレンに憑りついたから、エレンがおかしくなって大虐殺を引き起こしたというのなら、まだ話の筋は通る。でも、これではエレンの主体性がなくなるから、作者様としては不可だったんだろうなぁ。でも、キャラ(エレン)と行為(虐殺)を分けて、かつキャラを無罪にするには、「地球外生命体に操られていました」くらいしなきゃダメな気がする。そもそも作者様は夢を諦めて死ぬことで罪を償うというお考えがあるようだけど、エレン一人の死で人類8割の死は贖えない。(勿論、最終的には人の死は他人の死で決して贖えるものではないと思うけど。)「白夜」のあとで、ハンジがエレンとミカサに「罰を受けたら何をしてもいいのかい?」と諭していたけど、その通りだ。最後に死という罰を受けるんだから、何をしてもいいとはならんだろう。

 

ここまで私が進撃での虐殺の描き方にずっとこだわっているのは、ひとえにその影響力の大きさから。

最近もある学生が無邪気に「進撃見始めたよ~」と報告してくれたんだけど、正直すごく複雑な心境…。勿論、学生も私がアニメ好きだとわかっているから、わざわざ私に話しかけてくるんだけど。あの子たちが進撃を見て、エレンがしたように仲間を守るためなら虐殺は仕方がないと考えることを懸念している。実際、私の学生たちはみんな素直な子たちだから、物語に誘導されるままに、かなりの確率でそう考えると思うよ。物語の構造が、「虐殺する vs 虐殺される」の二択のみになっていて、それ以外の選択肢は強引に排除されて選べないようになっているからね。虐殺(するのもされるのも)を選択することを否定したハンジは物語から排除されたし、ハンジ自身が語らされたように、別の選択肢を模索することは「理想論で不甲斐ない」ものだとされたからね…。

世界はもっと複雑だし、世の中は二択のような0か100で決められるようなものではないのに、二択のような残酷さこそが「現実」だと思うように誘導される。(勿論、読者をそうやって誘導できるだけの力量がある漫画なのは本当に凄いと思うよ…)過去の私のエントリーを振り返ってみると最初は誘導されるままに現実は残酷だーと思っていたからね。

  • ステップ1:立体機動かっこいい、巨人が不気味だ、キャラがみんなたっている!
  • ステップ1.5:差別される民族?そんな繊細な題材大丈夫?
  • ステップ2:33巻まで一気読み。ハンジさんは虐殺否定してくれてありがとうだけど、現実は厳しいよ~。ハンジさん……死んじゃったよ(号泣)エレンも辛いよね。
  • ステップ2.5:でも、この展開はおかしいんじゃない? どうして戦う相手がマーレ本国じゃないの?マーレ本国の政治・社会体制の描写がないのはおかしくない?これじゃあ、和平プロセスも見えないし、そもそも悪いのはマーレなのに、なんでエルディア人同士が争っているの? なんで地ならししか選択肢がないように描かれているの?

(→このあたりでようやく、メタ視点を獲得する)

  • ステップ3:最終話を読む。これはダメだ…。虐殺を描くことが主題だから、そこから逆算して物語ができあがっている。虐殺を否定する選択肢が全てつぶされるのは当然だよ。だって作者が描きたいんだもん。

 

結局、メタ視点を獲得しないと、物語を解読できないわけで。それができるかどうかは、テクストを批判的に読むことに慣れているかどうかにかかっているんだけど、例えば、私の素直な学生たちはまず無理だと思う。物語に誘導されるままに読んで、それで終わり。

私が所謂「トロッコ問題」(究極の二択しか選択肢がなくてどちらかしか選べない)に非常に批判的なのは、それが思考力を養うどころか、創造性を奪うから。トロッコ問題の正解は、トロッコを降りて、別の選択肢を探すことだと思っているので、虐殺するかされるかの二択もトロッコ問題と同じで、その問題自体から降りなきゃはじまらない。トロッコを降りること=物語を箱の中から一旦取り出さなきゃ。

 

私はオタクだし、進撃という作品はやっぱり好きなんだよね。それにハンジ・ゾエという稀代なキャラを生み出してくれたことにも感謝しているし。だから、すごくその在り方に懸念を持っている。私としては、工夫次第で虐殺肯定の批判を避けることができると思っているし、そうあって欲しい。

正直、同人作品だったり、マイナーな青年誌で連載、アニメ化もしない、とかいう作品だったら、ここまで何度も言及しないよ。これほど世界中で売れている作品だからこそ懸念しているよ。一番恐れているのは、現実の紛争で進撃がプロパガンダ的に使われること。去年、Qアノンのような与太話を信じた陰謀論者やオルト右翼が議会の襲撃に加わっていたけど、現実とフィクションの区別がつかない人が多いから……。

 

ぐたぐたと書き連ねてすみませんでした。こんなとりとめのないエントリーでも読んでくださる読者さまに感謝しています。

 

 

そうそう、ファニメーションがクランチーロールを買収したから、クランチーロールがなくなるかと思いきや、プラットフォームはクランチーロールに統一されるようです。60日間のクランチーロール無料お試しオファーが届きました。にしても、これって独占禁止法には抵触しないのかな? 個人的に一社独占というのは嫌いなんだけど…。いい方向に働けばいいんだけど、大丈夫かなぁ。