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ぬるい懐古オタクがだらだらと語るだけ。クシャナ殿下と南雲隊長とハマーン様に愛が偏っています。

巨人の力の行方

進撃とナウシカについて書こうと考えていたんですけど、ナウシカは改めて別にエントリーを書きたいなぁ。で、しつこいんだけど、進撃の最終話についてもう一つ気になる点があるので、以下自分用メモ。

 

巨人の力がなくなったからその点だけはよかったんじゃないか、という意見を散見するので、進撃における巨人についてつらつらと考えています。考えは全然まとまっていないけど。

  1. 巨人の駆逐と自由の追求
  2. 巨人の力と差別(マイノリティの分断)

以上について。

 

個人的に、最終話で巨人が駆逐された(8割の人類は死んだけど、当初の目標は達成した)から良かったねといえることはないなーと思っています。

 

1.巨人の駆逐と自由の追求

確かに初期のエレンは巨人を駆逐するのが調査兵団に入った目的だと言ってはいたんだけど、自由の追求という側面がどんどんフォーカスされていったように思える。

当初、エレンの巨人駆逐の動機は

A)母親の仇を打つ

B)壁が自由を妨げている(壁があるのは巨人から人類を守るため。で、その壁の外に出るには巨人を駆逐しなければならない)

の2つが主要なポイントだったはず。

巨人を駆逐するのはあくまでも彼らが(壁内)人類の自由の妨げになっているからで、母親の仇(もしくは仲間の仇)という点を除いてはそれ自体が目的になっているわけではない。

マーレ編が始まるまでは、壁の外の世界に出るという自由を確保するために巨人を駆逐するというのが大きな動機で、それ自体はエレンも調査兵団の目的と一致している。

ただ、最終話で母の死は実はエレンが自ら仕向けた結果という衝撃の事実(!)が判明したので、結局自由の追求というのが動機としては一番のように見える。

なので、巨人の駆逐は、自由の獲得という主目的を達成するための手段という面が大きいんじゃないかな。

 

で、

1)無垢の巨人をパラディ島からほぼ駆逐

2)無垢の巨人はもともとエルディア人

3)無垢の巨人はマーレによって生体兵器として無理矢理巨人化されたエルディア人

の3点が判明した段階(海に出る頃)で、巨人を駆逐することは自由の獲得の手段と一致しなくなった。

 

エレンが欲しかった自由って結局何だったんだろう、と疑問に思っています。

地ならしをする運命から逃れること? 

自分の邪魔をするように見える人を排除すること?

壁を構成する超大型巨人を全て解放し、世界を破壊すること?

131話で地ならしをしている最中、子どもエレンが「自由だ」といって喜んでいたし、海に出た時も壁の外の人類は全て敵で、全て殺せば自由になれるのかって自問してもいたけど、結局、そういうことだよねぇ。

 

進撃の巨人の能力がはっきりとわからない上に、エレンが未来の何をどこまで見ていたのかが原作ではっきりと言及されてない以上、エレンが巨人の力の消失する未来を推測していたのかもはっきりしないけど......。

結局、 巨人の力の無効化というのがエレンの目的には見えない。地ならし(目的1)を起こし、ミカサに自分を殺させた(目的2)結果の産物のように見える。

たとえエレンの本音が地ならしを「なんだかよくわからないけどやりたかった」という破壊衝動だったとしても、パラディ島を守るという建前が地ならしを起こす動機であって、さらにその先にあるユミル成仏による巨人力消失は単なる結果だと思う。

 

「エレンがエルディア人を巨人(の力)から解放し、エルディア人が自由を得た」のは結果論だから、「巨人力を消失させるという最大の目的が達成されたからよかった」という考えに対してもやもやしている。

地ならしという虐殺によって最終的に巨人力の消失があったからよかった!などという達成感を読者に感じさせているのはやっぱり納得できない。(これって、戦争にはいい点もあった、とか、ファシズムにもいい点があった、などと寝ぼけたことを言うのと同じだと思う)

 

 

2.巨人の力と差別(マイノリティの分断)

「巨人の力からエルディア人を自由にした」と単純に喜べないのは、劇中で、巨人化とエルディア人の被差別が結び付けられているから。

もう巨人にはなれないし、普通の人類になったので、差別しないでね!というのは、差別される側がマジョリティと同化することで、差別されなくなるという言説と全く同じだから、非常に宜しくない。日本人の私が、白人アメリカ人に同化したらこの国で差別されなくなりますよ、などと言われたら、ふざけんな!と思うもの。

ただ、エルディア人によっては、「巨人になんかなりたくないし、もしかしたら悪意のある人に巨人にさせられてしまうかもしれないから、その原因を取り除けるのなら取り除きたい」と思う人が出てくるのは十分あり得る。だから、巨人の力の喪失をポジティブに受け止めてもおかしくはない。

さらに言えば、巨人化がエルディア人のアイデンティティになっていれば、それは奪われるべきではないけど、劇中のエルディア人にとって巨人化がアイデンティティになっていたとは見えないので、巨人の力の消失は賛否両論でいいと思う。(正直、巨人の力が消失してもしなくても、どっちでもいい)

むしろ、その巨人化を差別の原因とし、人間兵器として利用していたマーレの体制が問題とされるべきだったのに、その点が全く触れられていないのがマーレ編の大きな問題だと言いたい。

結局、差別する側(マーレの体制、もしくは差別する「世界」)をきちんと描かず、差別される側のエルディア人が分断し、争うことにフォーカスしているのは、差別問題を取り上げているのに、差別する側を利する描き方になっている。

 

マーレ編で私がずーっとストレスを感じていた原因として、以前のエントリーでもそのマーレ体制を描かないことに言及していたんだけど、

 

banana-snow.hatenablog.com

 

差別するマーレの体制が描かれなかったことに対するひずみがこんな風に出ちゃうのか!と最終話を見て思ったよ。

 

まず、マーレ編で描かれている対立関係は

  • エレン(&イェーガー派) vs マーレの戦士隊 vs パラディ島の政権(&ハンジたち一部の調査兵団)

の三つ巴。

これって全員エルディア人。一部、マーレ人の義勇兵たちとマガト、ミューラー長官などがいるけど、メインではない。差別される側たちが分断し、争っているのがメイン。

地鳴らし後、連合艦隊なんかも出てくるけど、すぐに壊滅して、結局、

  • エレン vs  地鳴らしを止めるための寄せ集め

という構図になるけど、これも当然ながら、エルディア人同士の争い。(オニャンコポンを除く)

 

そもそも、巨人化するエルディア人を差別し、収容所に入れ、兵器として使用しているマーレの体制がどうしてうやむやのままで、その責任が追及されていないんだろう?

マガトは責任をとって、殿を務めて自爆したけど、マガト個人の責任問題だけでもないでしょ。ミューラー長官の反省なんて土壇場で追い詰められたから、苦し紛れの言い訳にしか聞こえないし、最終話でもまだああやってエルディア人を殺そうとしている。しかも、あの時、エルディア人は巨人の力を失ったから敵ではないとアルミンに証明させているなんて、差別される側が、差別する側に、差別される側の無害を証明しなきゃいけないなんて。これは差別する側からの視点だよね。

地鳴らしによってマーレ本国はおそらく壊滅的なダメージを受けたはずだから、マーレはエルディア人差別の代償を支払ったのかもしれないけど、それは原作に描かれていない。地鳴らしの被害の詳細が原作で描かれたのは、結局、ラムジーたち難民キャンプにいた弱い立場の人たち。

 

差別する側(マーレ本国の体制)を描かず、差別される側同士の戦いにフォーカスすれば、当然ながら分断されたマイノリティしか見えなくなってしまう。そして、本来戦うべき敵である差別するマーレ人とその体制が隠蔽されてしまった。これは、差別される側ではなく、差別する側に利する描き方だよね。(おそらく作者様はそこらへん気が付いていないような気がする。あまり考えていないというか…)

 

これって、現実社会でもよくあるんだよな…。マイノリティ同士の分断を煽った結果、マジョリティの利益になるっていう。人種差別と暴力が日常のアメリカで長く仕事している私にとって、非常に嫌な描き方だわ。

 

さらに付け足せば、パラディ島の人々は自分たちが「被差別民」であるという意識がないと思う。島の外に出た調査兵団の一部は確かに差別される現場を見たけれど、島内にいる人々は、むしろ捕虜のマーレ人を差別する側。結局、パラディ島視点にすれば、差別される弱者の視点は消えて、差別する側というか強者の視点になってしまうのかもね。

 

「世界」の描き方もマーレ同様に、描かないことで、差別する側を隠匿しているように見える。そもそもマーレ編の「世界」っていうのがよくわからないんだよね。あまりにも多様性に欠けていて、現実味が全くない。ユミルの民を保護する会とかいうわけのわからない会議が描かれていたけど、あれって全員マーレの回し者じゃないの?っていうくらいに不自然な、一方的な会議。マーレに敵が多いのなら、パラディ島と手を結ぶ勢力は絶対あったはずだし、ヒイズル国のような立場に立つ国もあったはず。世界が敵だといっても、その「世界」があまりにも狭くて不自然だ。(いや、勿論、メタ的に言えば、地鳴らしを正当化するために世界とマーレ全てを敵にしているんだけど)

タイバー公の宣戦布告の時、レベリオの小さな野外劇場に要人が集まり、「世界の中心」みたいだとピークが言っていたけど、まさしくその通りだね。あの小さな空間がマーレ編の云う「世界」なんだよ。

ところで、面白いと思ったのが、進撃は懐かしの「セカイ系」じゃないかという意見。ああ、なるほどと思いました。あの小さな「セカイ」に、社会体制を描かず、主人公の仲間たちだけで「セカイ」の命運が決まるというのは、確かに「セカイ系」っぽい。

でも、「セカイ系」なら、それらしくして、人種差別問題や虐殺を中途半端に取り込んで物語を語らないでよ。繊細な問題なんだから、おざなりに扱うのなら、手を出さないでほしかった。

正直、巨人化によって差別される人種を描かなくても、十分に世界観を築けたと思うけど。

このあたりは、作者様よりやっぱり編集の責任が大きいと思うな。講談社も進撃で儲けているんだし、世界的に人気の作品なんだから、ちゃんとブレインを雇って、サポート体制を整えるべきだった。

 

 

ちなみに、もし進撃が漫画版ナウシカほどのラディカルさを追求するのなら、

A)巨人の力と人類の平和的な共存(ハッピーエンド風)

もしくは

B)人類は無垢の巨人に駆逐され、地球は無垢の巨人のパラダイスになる(バッドエンド風)

というエンディングを見てみたかったな…。